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(回答先: ワヤクチャさんに拍手! 投稿者 Sun Shine 日時 2007 年 9 月 15 日 18:21:11)
各人の実体験が一番貴重な情報である事に賛同します。
しかし、ネットで様々な情報を得て様々に考察する事にも意味はあります。
体験そのものも自分の主体的な姿勢によって様々に受容されるのです。
対象(=存在)と自分の脳の合作が体験です。
情報収集作業は体験をどのように理解するのかをめぐる準備運動のようなものです。
アメリカ政府が過去に行った事を情報として知っているからWTCの崩壊を「アメリカ政府の仕業ではないか?」と疑う事ができるのです。
通常は政府は国民の命を守るものだという根拠がない信仰が植え付けられておりますので「アメリカ政府がアメリカ人を殺すハズないじゃないか!アメリカ人を憎むイスラム教徒のテロリストの仕業に決まっている。」と思ってしまうのです。
得た情報によって体験の意味が全く違ってしまうのです。
自分の脳と関係が無い体験などないと思って下さい。
差別意識も生育過程で植え付けられた虚偽意識なのです。
但し、このような虚偽意識から自分で自覚して脱却するのは至難の業です。
自分の意識を対象化する能力が必要だからです。
書いて読み直すという作業によって少しづつこの能力は付いていくのですが。