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(回答先: なにも証明してないじゃん 証明するなら、せめてこれくらくしなさい 投稿者 Kotetu 日時 2007 年 7 月 12 日 23:42:43)
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小手先の言葉の操作で、誤りを正当化する姿勢は、
権力者の傲慢さと同質のものと考えられます。
誤りを知識でごまかし続けると、解決がどこまでも長引きます。
知識人同士連帯して、ムリを通し続けているうちに
(庶民の為の活動家を吊るし上げ逮捕したりしている内に)
冷戦構造が出来上がり、国民庶民は政策の外に置かれ
悲惨な社会環境の中にいつまでも置かれ続けるのです。
権威的権力者の誤りを、簡単に容認してしまう癖のついた知識人たちの
常識的で曖昧な(傲慢かつ)馴れ合い的な処理方法が、解決を長引かせ
国民市民の苦しい立場をいつまでも放置させてしまう原因となっている。
((問題は小さい事から大問題に至るまで、力で押し通し
高圧的な態度で処理している事に全く気付いていない。))
(人間の心のありようが、人間社会を幸せにもするし不幸にもする。
勘違いの優越感からは、平和な社会は作り出せないでしょう。
誤りを、自分達が認めて上げる。何に圧力をかけながら認めるのか
人類生命・国民庶民を差し置いた行為で、認めているのですよ。。。
何の権利があって、それが出来るのでしょう。
生れた環境に恵まれ、教育を受けた時間・費用・指導者に恵まれた
からといって、そこに他者を踏みつけてよいと言うどんな権利が生ま
れるのでしょう。教育は人間性を高め社会を良くする基本になりこそ
すれ、国民庶民の苦しみを放置させる類のものであってはならないと
思います。権力者の誤りは、それを指摘し、民衆の為に改めさせるのが
教育に欠けてはならない日本的精神であろうかと思います。
大きい問題の例えとして
http://www.asyura2.com/07/war94/msg/206.html
投稿者 秋吉悠加 日時 2007 年 7 月 13 日 19:35:05: ldiFanJt9l51o
などの問題とも,その根は共通のものと考えるのです。