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W・ヴェンダース監督作品「夢の涯てまでも」の日本シーン・日本趣味のあり方には
ふざけるんじゃねえとおもいましたが、物語の結語である夢の映像にとりつかれアトミ
ズムの進化と深化の内部構造に病理として入り込んだ女が、記録者の言葉によって回復
をとげる意味は、夢の私的所有の追求であるアトミズムではけして人間は救われないば
かりでなく、病理を深化させるだけであるという、W・ヴェンダースの今日的な回答で
あると思います。協働的な関係性にのみ存立できる人間は、やはりコミュニケーション
を形成することができる言葉の力と、根源的な身体的言語によって、打倒され閉ざされ
たアトミズムの構造から復活することができるのだと思います。
映画「夢の涯てまでも」はコンピュータ・映像の進化、機器の内部に人間は取り込ま
れていますが、その電子・デジタル構造の圧倒性の内部と、光景の変貌過程の内部に他
者として存在していた記録者こそ、私が注目した「現」の構造でした。彼・記緑者こそ
人間としてのメディアだったのです。
http://kayaman55-hp.hp.infoseek.co.jp/tenmon01.html