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(回答先: インテリよ、サバイバーたれH 農業は飢餓支配の為のでっち上げである 投稿者 日 日時 2008 年 6 月 09 日 19:39:23)
今回の事件は自我という臓器に絶望が作用したと言えるのかも知れない。
無論怒りとか恨み、悲しみもその中には詰まっている。
現象の片側だけを見た場合に、である。
その対極には誰にでも欲望という腫瘍もあるだろう。
どちらかが、その宿主の理性と忍耐で持ち堪えられぬ時、勝ち組だろうが、負け組みだろうが、ハケンだろうが、正社員だろうが、狂う事には変わりが無い。
大まかに言えば欲望も絶望も持って生まれた本能と状況に基づくもので、病巣の本体はそれを持ち堪えられない、その宿主の理性と忍耐の縮まった許容量そのもので、病理はそれを形成したその者の置かれた環境、社会にあって、それはマネーによるすり替えを錯覚と気付かねば、見えて来ない病理である。
病理が判って、初めて病巣への対処は可能である。
そこから再び個人へと意識は還り、宿主の「支配を欲望する自我」という臓器の正体を突き止め、制御すれば病巣は完治する。
生存するために、生き残るために、土台であり、足場となるは、肉体である。
その入力と出力の無限循環を邪魔するものがマネーでなのである。
呼吸・食事・排泄は誰にでも出来る。出来ない者は死ぬ。
食糧の収穫も同じである。誰にでも出来るし、しなければならない。
農家などと言う言葉は虚構だ。全ての人がすべき事だからだ。
それをどんな立場にあろうとも、自らがしなければ、社会病理など消えはしないのだ。
空気が無料であるように、食糧も無料である。
これまでも、人が何もせずとも、種のプログラム、自然降雨、日光、微生物、虫の働きで食糧は生み出されて来た。
勝ち組だろうが、負け組みだろうが、ハケンだろうが、正社員だろうが、所詮雇われ人であり、自給自足の足場が無くては病むのも当然である。