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掲載日時:2008/12/04 07:30
オンライン匿名性の終焉--単一IDが与える影響を考える
インターネットから匿名性が消えようとしている。ネット上では常に一定の情報により現実世界と同様身元が確認されるようになる。それは利便性を高めると同時に個人情報悪用のおそれがある諸刃の剣になる可能性がある。
筆者など : 文:Sarah Perez
翻訳校正:川村インターナショナル
URL : http://japan.cnet.com/column/rwweb/story/0,2000090739,20384657,00.htm
今、われわれはインターネットの新しい時代を迎えようとしているようだ。匿名で顔のないIPアドレスの代わりに、ソーシャルコンピューティングや変化し続けるテクノロジによって、「現実」世界と「仮想」世界の境界が不鮮明になってきている。Web 2.0は、あるサイトでは写真を投稿し、別のサイトではStumbleUponでブックマークを登録し、さらにTwitterやDiggに参加するなど、自分の生活の断片をネット上で共有することで、自分のアイデンティティが部分的に少しずつ公開されて行く世界を造り出した。しかし、ソーシャルメディアの登場は、新しいウェブを急速に形作る変化の1つにすぎない。
近い将来のウェブでは、もはや匿名性は存在しない。匿名性はすでに存在しないという主張も成り立つかもしれないが、それは完全に正しいわけではない。今でも、例えばTwitterなどのソーシャルネットワークサイトで、他人の名前やブランドを騙っている者たちの噂は絶えないし、有名人についてMySpaceで検索すると、その人物の「公式」ページだと称する何百というページが結果として返ってくる。しかしそうした「なりすまし」の時代は急速に終わりを迎えるだろう。
「なりすまし」は今や犯罪
このことに関する判例となった「Lori DrewのMySpace」裁判が先ごろ終了した。ご存じない方のために説明すると、これは過保護の母親がネット上で架空の人物になりすまし、自分の娘のライバルだった少女にいじめをはたらいた事件である。判決では、ネット上で架空の人物になりすました行為が犯罪とみなされた。この事件については、多くの人が被告は判決で言いわたされた罰に値すると考えるだろう。しかしこの事件がもたらした衝撃は、判決が覆されない限り、今後数年にわたりネット上で人格を作り上げるという行為に対して極めて大きな影響を与えることになるだろう。
「この判決が有効だとしたら、インターネット上のサイトすべては刑法を制定することになる」と、ヘリテージ財団のシニア・リーガル・ポリシー・アナリストであるAndrew Grossman氏は述べている。「これは過激な変化だ。これまで小さな契約だったものが、重大な犯罪的禁止措置になる」
「本物」の自分の認証
「偽者」を排除しようというサイトのニーズに応じるには、ユーザーは新しい方法で認証を受けることが必要になる。例えば、FacebookやGoogleなどの企業は、ユーザーが申請通りの人間であるか、身元を確認するためのソリューションを提供する準備を整えている。「Facebook Connect」、「Google Friend Connect」、それにYahooの「Open Strategy」では、ID管理という新しい分野に進出するため急いで準備を進めている。これらの企業は、オンラインIDに関する事実上のプロバイダーとなることを目指している。
しかしこの競争でどこが勝者になろうと、失われるのは匿名性である。この種の認証方法を採用するサイトでは、ユーザーは他人に嫌がらせをしたり、子どもじみたコメントを残したりするための、使い捨てのユーザー名やパスワードを作ることができなくなる。オンライン上でも利用者は利用者自身であり、現実の公共の場で出会ったときと同じ基準に従い行動することになる。
単一のIDが持つ心理的な影響
MySpaceがサポートを約束した理想主義的な計画「OpenID」については、GoogleやMicrosoft、Yahooといった企業のみならず、米国のObama次期大統領も歓迎している。IDが統一されることにより、インターネット上のいたるところで一式の信用証明書を使用でき、数百件ものサイトにアクセスすることができる。一般のコンピュータユーザーがOpenIDの専門的な側面を知らなくとも、その心理的な影響は次第に現れてくるだろう。
技術的なことが分からない人でも、自分は多数のサイトにわたって一式の信用証明書と1つのユーザー名を使用する、1人の人間であるというコンセプトに触れれば、自分たちの行動が追跡可能となり、それが真実であるかどうかにかわりなく、これまでのように匿名の存在ではなくなるのではないかと考え始めるはずだ。
ユーザーデータの支配者
最後にGoogleだが、われわれは同社が「新しい支配者」であるというジョークを紹介してきた。現実には、気の利いたテーマの無料ウェブメールやさくさく動くウェブ検索サービス、無料の分析ツールなどと交換する形で、人々は自分のアイデンティティを大量にGoogleに送ってきた。先週末にAllen Stern氏が述べたように、「 Googleは私の居場所も、何をやっているかもすべて知っている」のだ(この「ウサギの穴」の奥まで知りたいなら、「Google’s User Data Empire」を詳細に見ることをお勧めする)。
George Orwellが著書の「1984年」で描いた恐るべき未来像はとっくに超えてしまった。テレビ画面からわれわれを見つめる「ビッグブラザー」など問題ではない。自分たちは信頼に値する企業だと約束するだけの株式公開企業に、個人データやアイデンティティを盲目的に喜んで差し出すような世界になったのだ。また、H.G. Wellsの「タイム・マシン」に出てくるエロイ族のように、われわれは必要とするものをすべて与えられながら、やがては地下にひそむ邪悪な種族の餌食にされるのである。
適応のための戦い
この社会は、匿名性の欠落によってもたらされる変化に適応するため、さまざまな方法で努力することになるだろう。週末にFacebookに怪しげな写真を掲載されることで仕事を失い、再就職もできなくなるようになるかもしれない。だが、(承諾も得ずに)他人の顔の前にカメラやビデオレコーダーを近づけて撮影し、そうして得た画像を直ちにインターネットで公開することが社会的に許されていると多くの人が考えるような状況で、パブリックとプライベートの線引きをどのようにしたらよいというのだろう。
評判に傷がつかないようにするには、「人前では常に最善の行動をとる」以外にない。率直に言って、それは楽しいものではない。悪童たちはもはや夜遊びをしないのだろうか。友だちと馬鹿げた遊びに打ち興じることはできないのだろうか。その通り。その様子を翌朝にインターネットで公開されても気にしないという人以外は、そんな遊びはできなくなる。
ネット上での匿名性がなくなった場合、自分たちが常に記録され、写真を撮られ、トラッキングされ、トレースされているという事実を十分に認識していることで、本来の自分であろうとするのではなく、若干異なる人格を作り出すことになるのではないだろうか。例えばリアリティ番組の出演者の行動に、見られているという事実により変化が生じるようなものである。自分の「ブランドイメージ」が公共の場におけるアイデンティティとなり、つまりは自分のアイデンティティとなる。
すべてが悪いのではなく、単に違っているだけだ
現実には、オンラインでの匿名性を失うことは悪いことばかりではないはずで、例えば便利で持ち運び可能なソーシャルグラフが手に入る。ユーザー名やパスワードがびっしりと書かれたノートは処分しても構わない。検索データには1カ所から簡単にアクセスすることができる。ただし、簡単なログイン、検索可能な個人データやウェブ履歴、さらには大勢の友人がいるソーシャルネットワークといった利便性は、その過程で自分自身の一部と引き換えということになるだろう。新しいインターネットでは、自分のアイデンティティと個人情報がサービスの対価となる。われわれが個人データを売った企業が自社の利益のためにそのデータを使ったとしたら、いくら怒っても後の祭りである。われわれにできるのは自分を責めることしかない。
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