★阿修羅♪ > IT10 > 147.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/TOPCOL/20070726/136774/
2007/07/26
今井 拓司=日経エレクトロニクス
Appleの話になると,いつも感情的になってしまう−−何も私だけのことではない。このブログでApple社や同社製品について書くと,毎回たくさんのコメントをいただく。その一つ一つに目を通して,いつも感じるのがこの点だ。感情的といっても,決して非難しているわけではない。むしろ,そこにこそ同社の好調ぶりが由来すると考えている。みんなAppleが好き(あるいは嫌い)なのだ。
iPhoneもしかり。機会に恵まれしばらく使ってみたら,やはり同じ目にあった。最初は大したこともないと高をくくっていたのに,二日もすると虜である。米国のユーザーも同じらしい。マスコミのレビューから,ブログの感想から,iPhoneと恋に落ちたといわんばかりの反響が押し寄せてくる。
だから来週のセミナーの打ち合せで京都に向かったときも,ぜひその点で意見を交換したいと思っていた。ユーザー・インタフェース・デザインの老舗のソフトディバイス。代表取締役 CTO(最高技術責任者)の八田晃氏に,iPhoneのインタフェースについてご講演いただく予定である。
「なぜiPhoneはユーザーに感情的な反応を呼ぶんでしょう」。単刀直入に聞いてみた。しばらく考えた八田氏が慎重な口振りで話してくれた仮説が,「iPhoneには性格がある」というものだった。同氏に依頼した評価から見えてきたのは,iPhoneにはものすごくこだわった部分と欠けている要素があることである。この判断は,本誌に掲載した米国のデザイン会社2社の評価でも一緒だった(本誌の関連記事)。使ってみると確かにそうで,強い意志を感じる部分と,何だか歯がゆいところが混在している印象だ。こうした「個性」が,ユーザーに好きか嫌いかの判断を迫り,感情をかき立てるのではないか。
実際,思い当たる節はいくつかある。私が気に入ったこだわりの一つは,むやみに説明しないことである。まずiPhoneには分厚いマニュアルがない。「Finger Tips」と題した細長いペラペラの紙が一枚あるくらいだ。「わざわざ説明しなくても使える」というApple社の自信の表れともいえるが,最新の電子機器に馴染みのないユーザーには,傲慢と映って不思議はない。
ただし私はそうでもなかった。仕事柄,iPhoneの操作について事前に知っていたこともあるが,操作の作法を試行錯誤して見つけるとむしろうれしい。WWWブラウザーで画面を指でたたくと,表示されている文章の一行分が横幅一杯になるようにページが拡大/縮小することが分かったときは,ついついにやけてしまった。八田氏には,地図ウィジェットで画像を縮小するやり方を教わった。このアプリケーション・ソフトでは,指で画面を叩き続けると,画像は拡大する一方である。画面の上で二本の指を縮めると画像は縮小するけれど,どうにも釈然としないでいたら,指二本でたたくというのがあるらしい。やられた,と思いながらも,なぜだか喜んでしまう。「おおっぴらにしていないけど,実は色々考えてあるんだよ」−−そういう意図が見えるのである。
邪魔なものを省いていることもいい。昨日のブログにある「マイナスのデザイン」というやつか。例えばiPodの機能でアーティストを探すには,アルファベット順のリストをたどるしかない。ソフトウエアのキーボードはあるのに,検索機能はついていないのだ。普通の携帯電話機ならばもう少し気が利いている。例えば私の手元にあるケータイでは,電話帳を検索するのに7通りもの方法がある。「フリガナ検索」に始まり,「名前検索」「電話番号検索」「アドレス検索」「メモリ番号検索」「グループ検索」「行検索」までできる。残念ながら私は最初のやつしか使ったことがないが。対するiPhoneのやり方は,あたかも「これが正しい方法だ」と押しつけているかのようである。嫌いな人は嫌いだろう。私はそこまで気にならない。少々偉そうな気もするが,本気で怒るほどじゃない。それよりむしろ潔さを感じる。
このほか,既存のiPodを古めかしく見せる瀟洒な外観や,タッチパネル上で戯れる指を流れるように追いかけるアニメーションは,理屈抜きで好きになった。メニューの分類や操作手順といった使い勝手に関わる部分も,おおむね満足できる水準である。いろいろ不満はあるものの,いちいちあげつらうほどではない。
かつてApple社のVice Presidentを務めた認知心理学者のDonald A. Norman氏は,人間の感情に訴えるモノの要素を,人間の脳の働きに基づいて三つの段階に分類した。Emotional Designと題した著書で,Visceral(本能的),Behavioral(行動の),Reflective(内省的)と名付けている。私なりの解釈では, iPhoneに透けて見える性格は,最後のReflectiveレベルで影響を及ぼす。製品の外観や触覚と視覚に訴える操作感は,最初のVisceral レベルでユーザーに訴求する。製品の使いやすさは,2番目のBehavioralレベルで働く。iPhoneに熱狂するユーザーの姿は,それぞれのレベルで同社の取り組みが功を奏していることを伺わせる。Apple社は,ユーザーの感情を複数のツボで刺激する術を心得ているのだ。
しかし,同社がユーザーの感情を揺さぶる製品を生み出せる根本的な理由は,実はこうした個々のテクニックではない。八田氏は,iPhoneを構成するそれぞれの要素は目新しくないという。同じようなアイデアは何年も前から日本メーカーも温めてきた。それでも現在の日本メーカーには,iPhoneは実現できないと断言する。例えば,本当にマニュアルをなくすことができるのか。情報機器が苦手なユーザーの切り捨てにつながり,社内のマニュアル部門の仕事を取り上げるような判断を,日本メーカーは恐らく下せないだろう。斬新な発想が本当に売り上げにつながるかどうか誰も自信を持てないため,無難な発想に傾きがちになる。一事が万事で妥協を積み重ね,結果として面白みが薄い製品に変わってしまう。
Apple社がiPhoneを作れるのは,Steve Jobs氏をはじめとする経営陣が,どのような製品を作りたいのかをハッキリと思い描き,妥協なしに決断しているからだろう。Norman氏は,Emotional Designでこう書いている。「成功する製品を望んでいるならテストと修正を繰り返せばいい。しかし,世界を変えるような製品を作るには,明快なビジョンを持った一人が引っ張るべきだ。後者は金銭面でのリスクは大きいが,偉大さへの唯一の道である」。