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長野県では当時の田中康夫知事の下、「脱記者クラブ宣言」が行われ大きな話題と議論を呼び起こした。同宣言では記者クラブが「時として排他的な権益集団と化す可能性を拭(ぬぐ)い切れぬ」と断じ、「2001年6月末を目途に3つの記者室を撤去し、仮称としての『プレスセンター』を、現在は『県政記者クラブ』が位置する3階の場所に設ける」と記者クラブの「廃止」を促がした。鎌倉市の記者クラブ改革よりさらに踏み込んで記者クラブの在り方そのものに疑問を呈した。
記者クラブ改革、主婦が知事会見に出る長野県
村井長野県知事の記者会見(5日、県庁で)
9月5日に長野県庁で村井仁知事の記者会見に出席した。会見は県庁3階にある「会見場」で行われていた。田中氏が提唱したプレスセンターという名称は今はなく、会見場と隣の「取材者控え室」があるだけだ。記者は会見取材を終えると、そのまま会見場に残って記事を書いたり、それぞれの会社に戻って書いている。センターには会見をセットしたり資料整理や日常の報道に関係する調整をする専任職員1人が配置されていた。
県広報課の中村正人課長補佐によると、会見場は誰でも自由に利用することが出来、記事執筆などのために控え室を準備しているという。鎌倉市のように登録制はとっておらず、会見に出たいと思えばその日に行っても出席できる。しかもメディアに限らず県民や市民も参加できる。そこには記者クラブも鎌倉市のような「記者クラブ的」な組織も無かった。
記者クラブ改革、主婦が知事会見に出る長野県
会見場の横に設置されている取材者控え室(同)
私が一番驚いたのは、主婦が会見に出て知事に質問をぶつけていたことだ。その鈴木恵美子さんは田中知事時代から知事会見に参加しているという。この日は県民参加や知事のホームページについて質問していた。
鈴木さんは「私は1県民として会見に参加してきました。今の会見は田中知事の時と比べてオープンになっていると思います。田中知事の時は知事が質問者を指名する形で、私が話せない時もあったのです」と話している。鈴木さんの質問がきっかけで、田中知事時代の代表監査委員による県への訴訟が明らかになり、メディアがそれを書くという県民とメディアの「連係」が今年5月には見られた。
記者クラブ改革、主婦が知事会見に出る長野県
「打倒田中」を掲げて当選した村井知事だが、田中氏の遺産ともいえる会見スタイルを継続している。そのことと記者クラブについて知事がどう考えているのか会見で質問してみた。知事は「記者クラブという存在、これは私は基本的に記者の皆さんの自立的なと言いますか、その組織と言えば組織なのであって、私どもの方からとやかく申し上げる立場にはないと思っています」と知事就任時にはすでに記者クラブが存在していなかったとして、記者クラブについては特段、意見は述べなかった。
現在の会見スタイルについては「どなたでも、ご発言、ご質問ができるというシステム、現実に田中さんの時代には、何か知事が指名したのですか、何かそんなようなことだったらしいですけれども、私は時間の許す限り、どんなご質問にも一応お答えするというやり方で、これをずっと踏襲してきていますから、別にそれで不自由もさほど感じません。言いたい放題のことを言っていますので。特に注文する気にもなりません。1週間に1回、こういう会見というのを開かせていただいている。これが一番、オープンなやり方ではなかろうかと思っております」とした。
脱記者クラブ宣言から7年。長野県では記者クラブは無くなり、取材や報道の自由が強固になっていた。知事会見を完全開放したことで、これまで際立った問題も起きていない。鈴木さんのようなメディアに属さない市民が県政について、疑問や質問をぶつける機会が出現していることは全国的にも稀有なことではないだろうか。鎌倉、長野と取材して、排他的な記者クラブを改革するか完全開放することで、市民の知る権利を今以上に確保できることを強く感じる。
http://www.news.janjan.jp/media/0809/0809066453/1.php