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http://www.nishinippon.co.jp/nnp/kyushu/20071130/20071130_004.shtml
佐賀県唐津市鎮西町の県立名護屋城博物館は30日、豊臣秀吉が朝鮮出兵の拠点とした名護屋城本丸御殿跡から、計10棟の建物群の遺構が見つかったと発表した。同博物館は、建物群の規模や配置が大阪城の本丸図と類似しているとして「大阪城に匹敵する規模と格式を備えた、秀吉の居城だったことが裏付けられた」としている。
同博物館が行った今回の調査(2004―07年度)では、建物の礎石や通路の玉石敷を新たに発見。1996年度に確認された2棟を含む計12棟の建物群の延べ床面積は約1500平方メートルとなり、本丸の中央付近に大小の建物が密集していたことが判明した。
中庭と思われる広い玉石敷、排水用の溝などを伴う建物もあり、同博物館は「それぞれの建物は連結して機能していた」とみている。発掘調査では中国産の染付磁器、土師器の皿、上質な鬼瓦の破片なども見つかった。
当時の名護屋城の様子を伝える「肥前名護屋城図屏風(びょうぶ)」(佐賀県重要文化財)には、本丸に書院造り風の建物が密集して描かれている。
城跡の保存整備委員会会長の河原純之・元文化庁主任文化財調査官は「本丸に予想以上の建物があることが調査で分かった。屏風絵と方向が合致する建物もある。近世の城郭研究において、全国でも貴重な遺構だ」と話している。
=2007/12/01付 西日本新聞朝刊=
2007年11月30日21時20分