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雄大な高原山を拝める盆地には木幡神社があった。延暦十四(七九五)年、蝦夷征伐に
向かう坂上田村麻呂によって創建されたという。この地と古代那須国を結ぶ佐久山街道の
豊田には坂上田村麻呂の将軍塚がある。豊田将軍塚は、坂上田村麻呂将軍が宿泊したと伝
えられる、由緒ある場所とされている。そこで坂上田村麻呂は、延暦十四(七九
五)年、鬼怒一族に暗殺されたという異史がある。その伝承によると将軍塚は田村麻呂の
墓であるというのだ。田村麻呂の暗殺に驚愕した朝廷は、田村麻呂の死を隠蔽し、彼の弟
を田村麻呂将軍として祭り上げた。朝廷の自作自演が必要だったのは、東北蝦夷征服
の最後の切り札が田村麻呂将軍であったからである。朝廷軍は東北蝦夷征伐の遠征軍を派
兵するたび敗北していた。この地は東北反乱の蝦夷と切っても切れない関係にあった。木
幡神社には朱色の業火に焼かれ、逃げ惑う鬼たちの地獄絵が本殿の内壁に描かれている。
その鬼こそ高原山の縄文人である鬼怒一族とされている。木幡神社は大和朝廷軍が滅ぼし
た鬼怒一族の怨霊を永遠に封じ込めるための呪術神社とされているが、異史によると木幡
神社も鬼怒一族の社であったというのだ。鬼怒一族は社を未来永劫に残すために、坂上田
村麻呂将軍によって創建されという風説を下野全土に流した。蝦夷の知恵だった。
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【小説 新昆類】