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http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/fukuoka/20070928/20070928_016.shtml
博多湾に浮かぶ志賀島で発見されたが、出土状況などに多くの不明な点を残す金印「漢委奴国王」。謎を探ろうと、同島民らが11月3日、定説に異議を唱える識者を県外から招き、長年調査に取り組んできた地元の研究者らと議論する公開シンポジウムを開く。その後も、主張の異なるパネリストを招いて開催を続け、島おこしにつなげていく考えだ。
(福岡東支局・向井大豪)
シンポジウムを開くのは、島内の公民館講座で金印の歴史を教える福岡地方史研究会会員の折居正勝さん(59)と、受講者ら約20人が2年前に発足した「志賀島歴史サークル『金印』」。小中学生や観光客を対象にした島の歴史案内のほか、定期的な情報交換会を通じ、金印に関する資料集めを続けている。
金印は「カンノワノナノコクオウ」と読み解くのが定説で、古代中国との交流を示すものとして国宝に指定。発見者の同島住民が語ったとされる「百姓甚兵衛口上書」を基に、江戸時代の1784年、水田の溝の修理中に見つかったと伝えられている。依頼を受けた旧福岡藩の儒学者亀井南冥(なんめい)は、後漢の光武帝から贈られたものと鑑定した。
だが、発見から200年以上たった今も、甚兵衛が実在したことを示す確定的な史料はなく、出土地点の特定にも至っていない。金印は本当に志賀島から出土したのか‐。福岡市教委などによる度重なる調査でも物証は見つからず、あいまいさから学会では真贋(しんがん)論争も繰り返されてきた。
今回のシンポジウムは、金印の文字から史実を探ることに主眼を置く。パネリストの大阪府教委主査の久米雅雄氏は、「漢委奴国王」は「奴国」でなく「委奴(いと)国(伊都国)」を指し、志賀島外から出土したとする持論を展開。対する福岡側からは、発掘調査を続ける元福岡市教委課長の塩屋勝利氏らが出席し、定説の正当性を主張する。
折居さんは「以前の志賀島は貿易拠点だったと推測され、金印出土も不自然ではない。議論を通じてこうした島の歴史も掘り起こし、活性化につなげたい」と意気込む。活動を支えるサークル会員の募集も続けていく。
会場は同島内の志賀小学校講堂。参加無料。問い合わせは志賀公民館=092(603)6706。
=2007/09/28付 西日本新聞夕刊=
2007年09月28日13時35分