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5万2千平方メートルの土地を津市に寄付 川喜田半泥子ゆかりの地【東京新聞】
2007年8月14日 16時18分
百五銀行(津市)の元頭取で、陶芸家として高名な川喜田半泥子(はんでいし、1878−1963年)が暮らし、窯を開いた「千歳山」(津市垂水)と呼ばれる5万2876平方メートルにのぼる広大な土地を、孫たちが津市に寄付を申し入れた。江戸時代は津藩主の藤堂家ゆかりの場所でもあり、津市は公園などに整備する方向で検討を始めた。
市などによると、千歳山はかつて津藩のタカ狩り場で、1824(文政7)年に藩が領民のための公園として整備した。廃藩置県で官有地となったが、明治時代半ばまで市民に親しまれ続けた。
その後、私有地に払い下げられ開発されるのを知った半泥子が1908年に買い取って移住。石炭窯をつくり、本格的に製陶を始めた。戦後、進駐したGHQに一時接収され、正門の柱には四輪駆動車がぶつかった跡が残るなど、津の歴史を物語る地の一つといえる。
これまで、今年6月に73歳で亡くなった同銀行相談役の川喜田貞久氏ら半泥子の孫4人が所有していた。しかし、生前の貞久氏も含めた4人で「代を経て分割されるよりも、自然を後世に残してほしい」と寄付を決めたという。
面積はナゴヤドーム(名古屋市東区)の建築面積(約4万8千平方メートル)よりも広く、ほとんどが手つかずの森林。寄付対象ではないものの国登録有形文化財に指定されている収蔵庫「千歳文庫」も建つ。
半泥子の遺品約3万点を受け継ぎ、津市内で半泥子の遺品の一部を展示している博物館を運営する財団法人「石水会館」の所有地が隣接している。同財団の博物館が耐震強度不足のため、親族らは新たな博物館が、寄付する土地に建てられるよう市側に希望している。
<川喜田半泥子> 1878(明治11)年、大阪市生まれ。本名・久太夫。百五銀行頭取など財界の要職を務める傍ら、陶芸や書画、俳句と多芸に親しみ、世界各地を旅行した。中でも陶芸は窯や茶室を自宅に造るほか、各地に残る窯跡を発掘調査するなど没頭。型にとらわれない自由で伸びやかな作品は
「東の(北大路)魯山人、西の半泥子」とたたえられた。
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2007081490161411.html