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----HNN taisukeさんコラム から無断転載----------------------------------------
http://www.harinw.com/2008-02-24news-taisuke.html
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2008年02月24日
taisukeさんコラム
舛添要一厚生労働相は20日、医療や介護などの社会保障費について、「(2009年度予算では)2200億円のマイナスシーリングをやめたいと思っている」と述べ、政府が閣議決定した骨太方針2006に盛り込まれている抑制方針を撤回すべきだとの考えを、都内で開いた記者会見で語った(時事通信2月20日)そうです。
骨太方針2006は、07年度から11年度までの5年間に、社会保障費の自然増を1.1兆円(国費ベース)圧縮することを規定していて、政府はこれに沿って、07、08年度予算の概算要求基準(シーリング)をそれぞれ2200億円のマイナスに設定してきましたが、厚労相の発言は社会保障国民会議が狙う消費税率アップとの関係が注目されます。
国は、財政経済諮問会議などで、財政赤字などを含めた潜在的国民負担率を50%に抑えるなどの方針を掲げてきましたが、その意味は何だったのでしょうか。
「国民負担率」という言葉は、政府の様々な文書の中に出てきますが、その内容は、租税負担率と社会保障負担率の合計とされ、租税負担率は租税収入金額(国税+地方税)を国民所得で割ったもので、税金の軽重を表す指標と説明されています。
私の手元にある「入門医療経済学」(真野俊樹 中公新書)という本を開くと、「国民負担率」についての国際的な比較における本質的な問題点として、間接税を社会保障に当てる割合が高い国(北欧)と低い国(アメリカ)では国民負担率の分子(分母に対して)の意味が変わること、「税収の使い道を無視して、負担のみを議論することは、国民に提供されるものが何か、という視点が欠けているので問題」がある。「ヨーロッパ各国と比較すると日本の医療機関の窓口での自己負担率はかなり高くなってしまっている。」「これらは国民負担率の議論だけでは見えてこない。」としています。
そして、「負担」という言い方にも「すこし作為が感じられる。」、「社会保障への負担はむしろ分担とでもいうべき」と疑問を投げかけています。
最近、李啓充氏が「週刊医学界新聞」で「国民負担率」について次のように書いていますが、本質的な指摘だと思いますので以下、その概要を紹介します。
===「週刊医学界新聞」李啓充氏記事の概要=======================================
「国民負担率」は英語で「National Burden Rate」と訳すが、あまりに滑稽だ。逐語訳の和製英語であることは間違い。「National Burden Rate」と聞いて「国民所得に占める租税と社会保険料の割合」という元の意味を連想することができる米国人など一人もいない。(米国人たちに「National Burden Rateと聞いてどんな意味を考えるか?」と聞いたところ、返ってきた答えで一番多かったのは「障害者や失業者など、国家の重荷となる人々が人口に占める割合か?」というものだ)。
「国民負担率」なる概念の最大の問題点は、この言葉が、国民に対し、事実とはかけ離れた誤解や、必要のない恐怖心をかきたてる語感を内包していることにある。
先進国のほとんどが、国民負担率が5割を超える「大きな政府」を運営している事実があるにもかかわらず、日本で、多くの人が、「大きな政府を運営する国」=「国民が重税に喘ぐ国」という誤った先入観を抱くようになったのは、「国民負担率」という言葉を意図的に流行らせた人たちがいたせいだったと言っても言い過ぎではない。
「国民負担率」という言葉は、日本の社会保障論議を誤った方向に導くことで、「小さな政府を運営する国」=「国民の負担が小さないい国」という、迷妄な固定観念を蔓延させることに威力を発揮してきた。この「小さな政府=善」とする議論の延長線上で医療費(特に公的給付)も抑制され続け、いま、日本の医療が崩壊の危機に瀕する事態を招いた。
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国民負担率の数字が、国民負担の実際と大きく乖離しうることは、国民負担率31.9%と、日本(39.7%)以上に小さな政府を運営している米国で、国民の負担が日本よりもはるかに重い事実を見ればそれだけで明らかなのだ。以上が、李啓充氏が指摘です。
WHO(世界保健機関)が2000年に発表した「ワールド・ヘルス・レポート2000」で、医療の「システム達成度」が世界一と評価(日本を含めた上位国の得点は接近しているので飛び抜けて「世界一」ということではない)されています。理由は、GDPに占める医療費の割合が低いことや平均寿命、乳児死亡率等の評価が高かったことです。
しかし、平成19年度版の厚生白書では、「日本の医療は、国際的に見て長い平均在院日数や医療紛争の増加の問題に加え、最近では、産科・小児科、へき地等における医師不足の問題、病院における勤務医の疲弊等、新聞報道がなされない日はないほど、その抱える課題は多岐にわたり」その解決のために日本の「医療構造改革」が必要だとしていますが、その原因が世界一の医療費抑制政策による結果であるとは絶対に認めないでしょう。
厚生白書で触れられているように医療の質の低下、地域医療の荒廃が報道されない日はありません。少子化対策が叫ばれる中、産科や小児科の医療体制も音をたてて崩れ始めています。大都市でも医師不足によって休診または分娩制限に追い込まれる病院が増え、小児科も夜間外来を閉鎖する病院が続出です。大きな病院でも、内科医、麻酔科医の不足が深刻となり、医師・看護師不足による医療事故や医療従事者の過労死が問題となっています。日本の医療制度は、80年代から続く国の世界一の医療費抑制策政の下で、深刻な「医療崩壊」と呼ばれるような状況となっているのです。
日野秀逸氏によれば、OECD加盟国の臨床医師数の平均に引き上げるためには約13万人の医師増加が必要とされ、看護師の不足も顕著だと指摘されています(「世界」08年2月号)。
この「医療崩壊」の現状は、医療費抑制政策により臨界点を超えた結果です。サッチャー政権下でイギリスの医療が荒廃した状況をみても、いったん荒廃した医療制度を回復するには、多大な費用と長い時間が必要になることは明白です。
さて、医療構造改革関連法(2006年6月可決)については、ご承知のとおり「医療提供体制等の効率化」と「医療費の伸びを適正化」するために、「生活習慣病予防、医療提供体制、医療保険制度に関する改革を総合的かつ一体的に行うもので、国民皆保険制度創設以来の大改革」という触れ込みですが、その効果は疑問としかいいようがありません。
前述の日野秀逸氏は、日本の医療費をOECD平均値に肩を並べさせるには、 4兆4824億円必要だとし、日本の経済力を考慮して、OECD上位10カ国の平均値に等しくするならば約9兆円が追加的に必要だとしています。
結局、「国民負担率」という言葉は、世界一の医療費抑制策のための手段で、日本の「医療崩壊」を加速させるものであることは間違いないと思うがどうでしょうか。