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医療ミスをその後の医療の向上へつなげるためには?
テーマ:医療崩壊
ウィキペディアより、
医療事故
医療に関わる場所で、医療の全過程において発生するすべての事故をいう。予測不能や回避不可能であった事例や、患者だけでなく医療従事者に不利益を被った事例も含む。
医療過誤
医療事故のうち医療従事者側等の人的または物的なミス(過失)がある場合をいう
医療にはどうしても医療事故と医療過誤という問題がつきまといます。
医療過誤(医療ミス)はどうしてもゼロにはなりません。
しかし、可能な限りゼロに近づける努力はするべきですよね。
医療過誤がおこったときに、社会としてどのように対処すれば、同様の医療過誤をその後に、できるだけなくすことができるのでしょうか?
そして、被害者やその家族はどのように救済されるべきなのでしょうか?
今や日本では、医療過誤がおこったときには、示談では済まないで、医療過誤訴訟が行われることが多いですが、
果たして、医療過誤訴訟がその後に同様の医療過誤を減らすことができるのか?被害者は救済されるのでしょうか?
これを考える上で、ハーバード大学の医師で作家であられる 李 啓充先生 の知恵をお借りしたいと思います。
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アメリカ医療の光と影 第5回 李 啓充
医療過誤と医療過誤訴訟
「訴訟は被害者を救済しているか」という疑問に挑んだ歴史的研究
医師や病院をDefensive Medicineに駆り立てている医療過誤訴訟だが,過誤に遭遇することになった患者の被害を訴訟によって救済するという制度は,被害救済制度としてまともに機能しているのだろうか?
この疑問に真正面から取り組んだ歴史的な研究が,いわゆる「Harvard Medical Practice Study(HMPS)」である。ハーバード大学医学部・公衆衛生学部の研究者が,1984年にニューヨーク州の51病院に入院した患者からランダムに選択された3万人あまりのカルテについて,医療事故(adverse events)および医療過誤(negligence)の有無を子細に検討し,医療事故・過誤の頻度を調べるとともに,過誤訴訟との関係をも調べたのである。
この研究における医療事故の定義は「医療行為によって,入院が延長したり退院時に患者に障害が残るなど患者に害が及んだ事例」,医療過誤の定義は「期待されるべき水準に満たない医療が行なわれた事例」というものであった。これらの定義に基づき,HMPSのために特別のトレーニングを受けた看護師あるいは「診療録分析士」がカルテの1次審査を行なった。事故・過誤の可能性があるとされた事例について,やはりHMPSのために特別のトレーニングを受けた医師2人がそれぞれ独立にカルテを審査し,事故・過誤の有無を判定した。判定する医師の判断が食い違った事例については,研究を総括する立場にある第3の医師が別個に審査し,最終判定を行なった。
衝撃を与えた研究報告
HMPSが第1に報告したのは,医療事故・過誤の頻度であった。入院患者のカルテ3万あまりの検討で, 1300例弱(3.7%)に医療事故が起き,そのうち300例あまり(27.6%)が過誤によるものであったとされた。特に,医療事故の結果死亡に至った症例が13.6%,死亡例の約半数は過誤によるものであったとする報告は,全米医療界に大きな衝撃を与えた(ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディスン324巻370頁,1991年)。
入院患者が1000人いたとすると,40人が事故,10人が過誤に遭遇し,1000人のうち2人が医療過誤の結果死亡しているというのだから,衝撃を与えないはずはなかった。
頻度の報告に続いて,HMPSは,その第3報で医療過誤と過誤訴訟との関連を報告したが,その結果はさらに衝撃的なものだった(ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディスン325巻245頁,1991年)。
第3報で対象とされた約3万のカルテの分析で,280例に医療過誤が存在したと同定されたのだが,この280例のうち,実際に医療過誤の損害賠償を請求していたケースはわずか8例のみであった。
一方,全3万例のうち,過誤による損害賠償を請求した事例は51例あり,その大部分は,HMPSの医師たちが「過誤なし」と判定したケースだったのである。
つまり,実際に過誤にあった人のほとんど(280人中272人)が損害賠償を請求していない一方で,「過誤」に対する損害賠償の訴えのほとんどは,実際の過誤の有無とは関係のないところで起こされていたのである。
さらに,HMPSは過誤訴訟の帰結がどうなったかを10年間追跡したが,賠償金が支払われたかどうかという結果と,HMPSの医師たちが客観的に認定した事故・過誤の有無とはまったく相関しなかった。
事故や過誤はまったく存在しなかったと考えられる事例の約半数で賠償金が支払われている一方で,過誤が明白と思われる事例の約半数でまったく賠償金が支払われていなかったのである。
それだけではなく,賠償金額の多寡は医療過誤の有無などとは相関せず,患者の障害の重篤度だけに相関したのだった(ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディスン335巻1963頁,1996年)。
訴訟は医療過誤を防止しない
訴訟とは原告と被告とが「法的」議論を闘わせるものであり,過誤の事実があったかどうか,賠償の必要があるかないかを「法的に」認定するのは陪審員や判事である。担当弁護士の訴訟技術の優劣など,「科学」以外のさまざまな要因がその決定を左右する以上,訴訟の結果が「科学」が認定する過誤の有無と乖離することは避けようがない。
しかし,訴訟の勝ち負けは過誤の事実とはまったく関係のないところで決まっているというHMPSのデータが正しいとすると,過誤訴訟の結果が,医療「過誤」を防止する努力や医療の質の向上をめざす努力を奨励するという学習効果を及ぼすことは期待しえない。
医療の質を本当に向上させることよりも,訴訟に負けないことが優先されることになり,だからこそ,米国の医療にDefensive Medicineが横行するのである。
過誤の被害を受けた患者が訴訟を起こさなければ被害に対する救済を受けることができないという制度は,救済制度として機能していないだけでなく,医療過誤の防止という観点からも矛盾だらけの制度なのである。
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>入院患者が1000人いたとすると,40人が事故,10人が過誤に遭遇し,1000人のうち2人が医療過誤の結果死亡しているというのだから,衝撃を与えないはずはなかった。
医療スタッフの数が日本と比較して何倍もいて、その労働時間も日本よりは少ないといわれる米国ですら、かなりの人数が医療事故にあい、ひどい場合は医療過誤でなくなるということですね。
これらの数字は私の予想よりもかなり多いですね。
>実際に過誤にあった人のほとんど(280人中272人)が損害賠償を請求していない一方で,「過誤」に対する損害賠償の訴えのほとんどは,実際の過誤の有無とは関係のないところで起こされていたのである。
これは医療過誤が隠蔽されることが多いということでししょうか。また、患者サイドの不信感や誤解に基づく訴訟が多いということですね。これは医師と患者のよくない関係も影響していると思われます。
>賠償金額の多寡は医療過誤の有無などとは相関せず,患者の障害の重篤度だけに相関したのだった。
>賠償金が支払われたかどうかという結果と,HMPSの医師たちが客観的に認定した事故・過誤の有無とはまったく相関しなかった。
要するに裁判とは医療過誤があったかなかったかに関係なく判決がくだされるということですね。
上記の事柄を考え合わせると、
医療訴訟は、医療をよくすることには全くつながらない。
という結論になります。
また、
>医療の質を本当に向上させることよりも,訴訟に負けないことが優先されることになり,だからこそ,米国の医療にDefensive Medicineが横行するのである。
どうも医療訴訟は。医療の質を向上させることには全くつながらないばかりでなく、医師の防衛的萎縮医療を促すということのようです。
また、裁判となりますと、当事者は自己に不利益な情報をださなくなるので、真相を明らかにすることなど永遠に無理になると思われます。
こう考えると、医療事故や医療過誤の被害者が救済されるためには訴訟でなく、無過失保障制度によるもののほうが、医療の向上ということを考えるとよりよい社会システムであるようです。
そのうえで、医療過誤がおこった原因について当事者が物事を隠蔽しないよう状況をつくりあげ、客観的な分析を行うことこそがその後の医療の向上につながるのではないでしょうか。
天夜叉日記
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