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教育荒廃と医療崩壊の共通点から考えられるそれらの解決法とは?
テーマ:医療崩壊
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教育現場がモンスターペアレントの出現により、荒廃していることが社会問題になったちょうどその頃から医療現場の荒廃もはじまった。
これは、決して偶然ではないと考える方も多いと思います。
私は、WHO(世界保健機構)により世界第一位と認定された日本の医療を政府とマスコミ、司法、警察、検察、そして一部の市民団体が一体となって破壊しているとの確信があります。
ただ、残念ながら、問題なのはこれらの要因だけではありません。
さらに、医療を崩壊させている原因のひとつとして、
無理難題を医師に要求する患者やその家族の出現により、勤務医が疲弊していることを考えざるおえません。
つぎのような教育荒廃を知らせるいい記事がありました。
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【やばいぞ日本】「お前ら全員辞めさせる」
■第4部 忘れてしまったもの(2)
首都圏の小学校で昨年、こんなことがあった。
6年生の児童が友達とけんかした。たたかれて鼻血を出したことに父親が激怒、校長室に怒鳴り込んできた。父親はテーブルの上に座り、校長の胸ぐらをつかんで「学校の責任だ。傷害罪で告訴する」と迫った。
騒ぎを聞いて集まった担任らは「原因は双方にある」などと説明し、今後は厳重に指導すると約束した。だが、父親は聞き入れず、「お前ら全員辞めさせてやる」と廊下にまで響きわたる声で罵倒(ばとう)した。
結局、父親に押し切られる形で警察が呼ばれ、教室で現場検証まで行われた。たかが子供のけんかにと、警察も困惑気味だった。「最近の親は、いったんキレると何をするか分からない」と、事情を知る学校関係者が肩をすくめた。
こんな親は決して珍しくはない。今年8月、首都圏から十数人の小中学校教員に集まってもらい、教育現場で今、何が問題になっているのか、匿名を条件に語ってもらった。複数の教員が真っ先に訴えたのは、無理難題を押しつけて学校を混乱させる、一部の親の存在だった。
「うちの子をリレーの選手に選べと、脅迫的な電話を1週間もかけ続ける」「校庭の遊具で子供がけがをしたから、遊具をすべて撤去しろと求める」
全国の教員らでつくる研修組織「TOSS」の向山洋一代表は、学校に理不尽な要求を突きつける親のことを“怪物”にたとえてモンスターペアレントと呼び、深刻さをこう語る。 「先生を先生と思わず、抗議のための抗議をする親がいる。『校長を土下座させた』『担任を辞めさせた』などと吹聴することもある。モンスターペアレントが一人でもいれば、その学校は崩壊してしまう」
こうした親に振り回される教員の心労は大変なものだ。文部科学省の調査では、2005年度にノイローゼなどの精神疾患で学校を病欠した公立小・中・高校などの教員は過去最多の4178人。前年度より619人増え、10年前の3倍に達した。この多くが、保護者対応に苦慮していたとみられる。
昨年6月、都内の公立小学校の新任女性教師=当時(23)=が自宅で自殺した。
「無責任な私をお許し下さい。全て私の無能さが原因です」。教師がノートに書き残した遺言だ。教師は2年生クラスの担任を任されていた。関係者によれば、死の数日前、親しい知人らに保護者対応で苦しんでいることを打ち明けた。宿題の出し方などに不満をもつ親がおり、執拗(しつよう)な抗議を受けていたというのだ。
クラスと家庭を結ぶ連絡帳には、この親からの苦情がびっしり書き込まれていた。「あなたは結婚や子育てをしていないから経験が乏しいのではないか」。人格否定の言葉まであった。
教師が「すみません」と書くと、何がすまないのか具体的に書くよう求め、教師が説明すると、消しゴムで消して「もういい」と突っ返すこともあった。連絡帳を見た先輩教師がその内容に驚き、自ら親に電話してたしなめるほどだった。
校長や教頭の対応にも問題があった。悩んでいる教師に対し、親に電話で弁明するよう求めたり、誠意をみせるため配布物を各家庭に直接届けるよう指示した。ストレスは増えた。
関係者は「通常の抗議の枠を超えた親の言動が、教師を追いつめたことは間違いない。校長も守ろうとしなかった」と打ち明ける。
親による先生への“いじめ”がなぜ、これほどまでに横行しているのだろうか。
◇
■強まった教育への「消費者」意識
理不尽な親が目立つようになった背景はなんだろう。プロ教師の会を主宰する日本教育大学院大学の河上亮一教授は「『国民』を育てる、という公教育の基本理念を見失ってしまったことが最大の要因ではないか」と指摘する。
河上教授によれば、今の親たちが中学生だった1980年代、学校を取り巻く環境が大きく変わった。個人主義が声高に叫ばれ、制服や校則に反対する“学校たたき”が盛んになった。規律や権威といった公教育には欠かせない要素が次々に失われていった。
90年代以降になると、親が学校に対して「消費者」意識を持つようになり、逆風は一層強くなった。教育サービスという言葉が浸透し、高い税金を払っているのだから、教員は親のいうことを聞いて当然とする意識もみられるようになった。代わりに、学校や教師に対する感謝が忘れ去られていった。
こうした時代を過ごした今の親が、「消費者」意識を暴走させたのがモンスターペアレントだと、河上教授はみる。
さらに問題は、理不尽な親の行動に周囲が引っ張られてしまうことだ。
数年前、都内の小学校教員が新聞を使った授業をしようとしたところ、ある児童がスポーツ紙を持ってきた。その中に成人向けのページが含まれていたため、教員は使用を控えた。
そのことを曲解した親の一人が、日ごろの不満もあって「あの教師は変態だ」などのメールを複数の親に流した。
このことが児童にも伝わった。悪乗りした児童が授業中に「変態先生」と大声を上げたため、教員は児童の頭を軽くたたき、静かにするよう注意した。すると今度は「暴力教師」とのメールが一斉に流された。
関係者によれば、この教員はそれまで、指導力が高いと校長からも信頼されていた。
ところが一部の親のメールがきっかけで、児童にあなどられても強い指導ができない“ダメ教員”になってしまった。教員は結局、自ら希望して別の学校に異動した。
親が身勝手な要求を行い、教員が萎縮(いしゅく)するようになれば、それは学級崩壊につながり、子供たちに悪影響を及ぼす。
今年6月以降、東京都港区教委や北九州市教委などが、公立学校で保護者との間にトラブルが生じた際、校長が法律上の問題などを弁護士らに直接相談できる態勢を整え始めた。だが、こうした取り組みはまだ緒に就いたばかりだ。
公教育は、秩序ある社会生活を営むための学力や規範意識を身につけさせるものだ。昨年12月に改正された教育基本法の前文にも「公共の精神を尊び」という文言が追加された。こうした当たり前の意識が社会全体に欠けていることは否めない。「公共の精神」を考えようとしてこなかったつけは大きい。(川瀬弘至)
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>強まった教育への「消費者」意識
理不尽な親が目立つようになった背景はなんだろう。プロ教師の会を主宰する日本教育大学院大学の河上亮一教授は「『国民』を育てる、という公教育の基本理念を見失ってしまったことが最大の要因ではないか」と指摘する。
この段落の「教育」を「医療」にしてみれば、どうなるでしょうか?
強まった医療への「消費者」意識
理不尽な患者が目立つようになった背景はなんだろう。プロ医師のOO教授は「『医療』を守り尊重する、という公の基本理念を見失ってしまったことが最大の要因ではないか」と指摘する。
かなり、教育荒廃問題と医療崩壊問題はその根っこがおなじような気がします。
だれがいいだしたのか、多くの一般の方は「医療や教育はサービス業」という感覚をもっていることでしょう。
この認識こそが、社会に多大な悪影響を及ぼしていると考えられます。
医療や教育は決してサービス業ではありません。社会のインフラなのです。
警察や消防とおなじように、社会になくてはならないものなのです。
かといって、「親が学校に口出しするな」とか、「患者やその家族は医師に文句をいうな」というふうには考えていません。
では、どうすれば、日本の社会をいい方向に進めることができるのでしょうか?
この教育や医療の荒廃問題を考える上で、大阪大学大学院の小野田正利教授がされている考え方は大変参考になります。
少し長いですが、彼の講演の記録から引用します。
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「小野田正利 講演「人と人が結びあえる社会であり続けるために」 (PDFファイル)
10.社会全体に広がっている「言ったもん勝ち」の風潮
昨年12月に、テレビを見ていたときに、私はアッと驚く報道に接しました。昨年9月に東京の墨田区で、 ある会社員の方が自宅アパートで殺されていたという事件がありました。警察は一所懸命、その犯人を捜そ うと思って知人関係、縁故関係、いろんな関係を捜したんですが、犯人がなかなか見つかりませんでした。
3カ月経って、ようやく犯人が見つかりました。何と近くの牛丼屋さんの店長だったっていうんです、殺人 犯は。牛丼屋さんとこの会社員を結び付ける接点というのは、会社員が、ときおり食べにいくという、その 接点ぐらいしかありません。これがバーやスナックでしたら、痴情関係のもつれとか何かそんな形になるん でしょうけど、マクドナルドの店員との間とか、ミスタードーナツの店員とという関係では、まずないのと 同じように牛丼屋さんとは何の関係もない。
実は、背景があるわけです。この会社員が、数カ月前から牛丼屋さんにやってきては、あれやこれやと難 クセをずっとつけていたんです。別にその筋の方じゃないんです。ごく普通の市民の方なんです。その方が、 きっかけは牛丼弁当だったんだそうです。牛丼弁当を買って、アパートに帰って食おうと思って蓋を開けた ところ、具が斜めになっていたんだそうです。そりゃ、そういうことってありますわな。こうやって振りゃ、 そりゃズルズルズルッと、天丼にしろカツ丼にしろズルズルズルッと落ちることはありえるわけです。それ がきっかけです。それでもって店に行って、「牛丼弁当が斜めになってるやないか!」って。これなんです。
このことがきっかけとなって、ずーっと、ことあるごとに店先に来て、がなり立てるわけです。お店にとっ ては、他のお客さんもいますから、完全な営業妨害になります。
今、飲食店関係は、お客さんとの関係では 最も弱い立場にあります。こういった状況を見透かすような形で、また責める場合もありますので、そうい うことがあります。
そこでこういう状況にたまりかねて、短絡的といえば短絡的かもしれませんが、雇われ店長は、「もはや 殺すしかない」と、こうなるわけです。そこで、会社員がひとしきりがなり立てたあと、あとをこっそりつ けていって、自宅アパートにたどり着いたところを殺したということなわけであります。殺したほうが、明 らかに悪いです。ただ、私が考えるイチャモン学という形でいきますと、なぜ、この会社員のほうは、そう までして牛丼屋さんを追い詰めたのかという、こちらのほうにむしろ関心があります。牛丼弁当が斜めになっていたことが、そんなに悔しいんでしょうか。
違うと思うんですよ。
この会社員そのものが置かれている 状況がポイントだと思います。彼はおそらく、会社の中で様々な競争主義や業績主義の中で、「お前は、愚 図で馬鹿で、のろまだ」と言われ続けて、そういった意味でのフラストレーションがずーっと溜まっていく 中で、そのはけ口として、たまたま牛丼屋さんがあった。しかもこういったときは、必ずいろんなところで ウップンばらしをやっていると思います。そのときに、最も自分にとって好都合な反応をしてくれるところ (牛丼屋の店長)に集中的にいくっていうことがあるんです。たぶんそういう状況だったんでしょうね。
いままで、いくつかの象徴的な例をお話ししましたが、皆さん方の日常生活の中でも、これに関して思い 当たることはあるんではないでしょうか。つまり、この問題は、私たち人間が、常に理性的な存在で合理的 な思考をして、そして行動できるかということに関わる問題だと思います。
キレやすいという言葉が言われ だして、もう20年近く経ちます。この言葉が使われだす時期ともあわさるんですが、私たちの日常的な生 活の中で、自分がそういうような文句言い=イチャモン垂れになっていないか。あるいは、人がそういうこ
とをやっていることに対して、それを自分がどう判断するかという、大事な問題でもあるというふうに思う んです。こういったものが、世間にはたくさんあって、それがいま教育や学校の世界の中に、しみ出てくる ということがあるわけです。
実は、10年ほど前から病院関係のお医者さんと話していると、これがやっぱりすごく出てきています。 5年ほど前から、弁護士さんのレベルでも文句をつけられていくということがあります。
その意味からする と、今の時代状況そのものが、まさにこういう状況が、ごく当然であるような形になっているのかもしれな いと思います。まさしく「言ったもん勝ち」。こういう形なのかもしれません。
11.今の社会そのものが、果たしてまともなのか?
でも、こういう社会っていうのはまともでしょうか。健全でしょうか。
そういう社会にしないために、きちっと人と人が結びあえるっていうとこで、人は信頼できるんだというところを含めて行動できるところを、 どうやってつくっていくかが大事だろうと思います。
しかし、残念ながらいまの政治を見れば、私から言わせれば無茶苦茶な「構造改革」の連続です。私のと ころの学生たちでも、正職員に就いている卒業生っていうのは、全体の3分の2。3分の1は派遣労働や契 約社員という形です。5年ほど前に「七五三」ということがいわれました。中卒の7割、高卒の5割、大卒
の3割が3年以内に職業を変えているっていわれましたが、私のところで、それなりに統計をとってみても、 ほんまにそうです。こういう状況っていうのがあります。
1週間前、来月結婚式を名古屋で挙げるという二人が、私のところに挨拶に来てくれました。私のゼミ生 同士です。一人は文科省の官僚。彼は、毎日帰るのは2時です。夜の2時。もう一人がIT関係でシステム エンジニアをやっているんです。この子は埼玉まで出掛けていきまして、片道2時間かけて帰ってくる。帰 り着くのが12時です。しんどいですね。正直言って、うちのかみさん共々話したのですが「子どもができ て休業に入るか、どちらかが仕事を辞めるっていうやり方をしないと、なかなか夫婦生活も含めて、長続き するのか不安だな」っていうのが、ふと頭をよぎりました。
あるいは、時給800円で毎日、一所懸命働いても、年収200万いかないんでっせ。皆さん、計算して みれば分かります。800円掛ける8時間。ハッパ64。20日間働いても、12万から13万。それが1 2カ月足しても160万円そこそこです。こういう状況も含めて、今の社会だとか政治だとか経済の状況っ
ていうのが、非常に様々な形で息苦しいものをつくりだしているというのもあろうと思います。私は、そう いったような形のものも含めて、こういう現象っていうのは、どこでそうなってきているかということを考 えながら、考察をつづけてきたわけです。
さて、こういう話をしていますと、実は「そういうように、お前は言うけども、問題がある教師もいるやないか!」、こういうふうな形での反論が常に出てきます。私も、十分そのことは知っています。それは大 学の教師だって、いろいろ問題のある人はいます。新聞にも載ることがありますし、きちっとしたデータに もなっていますから、「絶対にいない」なんて、私は口が裂けても言いません。確かに「います」。小中高 等学校の教員の中にもいます。
でも同じように、それは普通の会社員にだっているはずですし、別の公務員 の世界だって、自衛隊の中だって覚醒剤を使っている人だっているし、という形であります。しかしそれは、 本来あってはならないことだと思います。
しかし、それはそれとして、どういう形で、そういう人たちに対して処分を下して、そういう人たちを早 くお引き取り願うか、という論議を考える事柄と、もう一方で、学校というところに、どういう形で保護者 が要求を出していくかっていうこと、つまりその出し方をどう考えるかっていうことは、私は別の問題とし て考えるべきだと思います。これがいっしょくたになってしまって、「どっちもどっちだ!」。こうやって しまうと、どっちも浮かばれないんです。問題はどこにあるかを、一つ一つ確実に、整理をして進めていく ことが、私は大事だというふうに、こう思っているわけです。
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小野田教授がいわれるには、学校や医療に無理難題をいうひとが出現したのには2つの要因がある。
1. 社会全体に広がっている「言ったもん勝ち」の風潮
2. 低賃金労働者や景気の低迷。さらには無茶苦茶な「構造改革」で日本国民が疲弊し、そのはけ口が学校という現場にでてきている。
2. 低賃金労働者や景気の低迷。さらには無茶苦茶な「構造改革」は、日本政府の政治が悪いからでしょう。私は、以前のエントリーにもありますように、政府の方針である新自由主義の結果だと考えています。
日本の社会と医療を破壊している新自由主義とは?
http://ameblo.jp/showatti/entry-10064352143.html
これらの原因を取り除くことが解決法だと考えますと、
1、医療や教育を守り育てて行くという風潮の形成
2、政府による新自由主義を中止し、強者優遇弱者切り捨て政策をやめること
が日本社会にとってよいものであると考えられます。
さらに小野田教授は、教育問題を解決するために、つぎのように述べられています。
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私は、イチャモンという角度からこの問題を考えていますが、その裏返しは常に「連携」なんです。この 問題は、オモテとウラの関係なんです。簡単に言いますと。「イチャモンこそチャンス」なんです。分かり ますか。このところをもう一度、教職員の側は、肝に銘じていただきたい。そして保護者の方は、時として
トゲトゲしくなる物言いを、一度、ちょっとそうじゃなくて違う形で、「うん? これイチャモンになって えへんかな? そうじゃないかな?」ということを考えながら、それを反省しながら、ちゃんと学校に出し ていく。
そして、「何だったら、私が、あんたの話、聞いたげるわ」と学校に不満をもって悩んでいる人に呼びか ける。この中にも、学級PTA、学年PTAで結構そういう役割をされた方も多いと思います。「あんたの 悩みを聞きましょう」という形で、手を差し伸べる。そういう取り組みが、どうできるかってことなんです。
人間ていうのは、ストレートにものを言うときに、「どうしても言わな気がスマン」っていう部分がありま す。これはすごく大事な事柄なんですが、もう一方で、自分の怒りや感情や思いみたいなものが、どれだけ 意味があるかっていうことを考え、一度、誰か近場の他人に話をしてみるっていうことが大事です。その関 係を通した中で、学校に「どう思っていることを伝えていくか」が大事です。
そして、そういう中では、「学校、これやってよ」じゃなくて、「私は、こうしたいと思う」「先生、これしてくれません?」「私は、ここまでやります」という、このお互いの関係性をつくれるような形での要 求の出し方をしていくことが、社会が壊れない、そして学校ということを通しながら、社会が結びあってい く重要な役割だと思います。
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>先生、これしてくれません?」「私は、ここまでやります」という、このお互いの関係性をつくれるような形での要 求の出し方をしていくことが、社会が壊れない、そして学校ということを通しながら、社会が結びあってい く重要な役割だと思います。
すなわち、親と学校、さらには地域を含めた連携、コミュニケーションをとることにより、お互いが理解しあい、教育を守り、育てて行こうという考え方をされています。
これを医療にあてはめてみましょう。
患者やその家族と医師を中心とした医療スタッフがコミュニケーションをとることが医療を守ることにつながるということになります。
しかし実際には国の政策により、医師や教師は膨大な書類の事務処理など、過酷な勤務で余裕がありません。八方ふさがりですね。
私は、現時点でできることとして、
学校や病院におけるボランティアを強力に推進することを提案いたします。
一般の方が学校にいって授業の手伝いを通じ教師を助けつつ、教育現場を理解する。あるいは、病院に行って、患者さんの誘導などのボランティアをしつつ、医師や看護師の仕事に接する。
現役の仕事で追われている方はなかなか難しいかもしれません。
しかし、退職して体が元気な方は可能でしょうし、忙しい方でも学校で子供と接することは仕事をなんとか都合をつけることに見合ったメリットがあるのではないでしょうか。
私は、医療と教育を守り育てるために国民全体が努力する日本社会になってほしいと願うのです。
「天夜叉日記」
http://ameblo.jp/showatti/entry-10065170526.html
「大和ごころ。ときどきその他」
http://ameblo.jp/shionos/
KAL007便の生存者:その証拠と彼らの行方
http://www.asyura2.com/07/war99/msg/460.html
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シベリアで強制収容所にいるかもしれないKAL007便の乗員・乗客を
無事に家に帰らせたいのです。そして、今、ニューヨークで一番危ないのです。
明日爆発するかもしれないのです。
彼らを救う為にも、国民皆さんが意識向上してもらいたいので是非、
「この投稿に拍手」をよろしくお願い致します。