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---日々是よろずER診療 から転載-----------------------------
http://blog.so-net.ne.jp/case-report-by-ERP/20071225
検査前確率という考え方 [救急医療]
医師の仕事の一つとして、患者の訴える症状から、病気を診断するというプロセスがある。診断がつけば、次は治療のステップということであるが、本エントリーでは、診断というプロセスのみにフォーカスをあててみる。患者側の立場にある方々に、医師の診断思考プロセスを少しでも理解してほしいというのが、切なる私の願いである。だから、本日はそういう目的でこのエントリーを書いてみた。
患者の年齢、性別、既往歴、症状などから、我々は、無意識のうちに、病名の仮説を立てる。そして、その仮説をさらに検証していくために、必要な検査、さらに必要な病歴、さらに必要な身体所見などを追加して、そしてその情報をもとに、その仮説を適宜修正していく。
この思考プロセスは、仮説⇒検査⇒検査結果の検証⇒仮説の修正⇒・・・(以下繰り返し) というイメージである。
仮説に挙がる疾患は、決して一つではない。必ず複数あるのだ。これを私たちは、鑑別診断といっている。だから、私たち医療者は、複数ある選択肢から、どれかに絞り込んで、最初の行動をはじめるしかないのである。
医療の診断プロセスを批判したいならば、「どう鑑別を立てて、どう優先順位をたてて、診療をすすめたか」という点を検証のうえ、批判するべきである。結果(=診断名)から時間を遡って、批判するべきでない。
このブログ上でも何度でもいっているように、悪い結果がでたことのみをもって、我々を批判するのは、極めて的外れである。人間には、後知恵バイアスなるものが、もともと備わってるのだから、患者側が医療者を批判したい気持ちに駆られるのは、私は理解できる。しかし、公正中立な判断が理性的かつ論理的に求められるべき法曹の方々、世間の感情形成に莫大な影響力を及ぼすメディアの人々、とくに情報発信の最終権限をもっているメディア組織の中でも比較的上層部の人たちには、私のいう医療者の思考回路を、是非とも理解していただきたいと思う。その上で、自分達の仕事の社会的責任を果たしてほしい。
医療者が、鑑別を立てるとき、現実的なものから妄想に近いものまで、とりあえずいろんなものを自分の思考回路の遡上にいったんは上げておくことは、私は容認である。しかし、現実的には、ありそうなもの、対応可能なものを、選別し、自分の頭の中にあがったものを取捨選択して、現実的な診断に向けて行動を起こさねばならない。
その鑑別の取捨選択を行う際の重要な考え方が、診断理論の中の検査前確率という考え方である。
この検査前確率は、言い換えると、診療の場(=患者母集団)を考慮した疾患存在確率ともいえる、この確率が、病気の診断過程に多大な影響を及ぼすということを知っておくことが重要である。
それを、計算で示す。
その具体的計算として、心筋梗塞を血液検査で診断する状況を例示する。
心筋梗塞の血液検査的な診断には、CK-MBという物質が血液中にどれだけ漏れ出ているかを指標にして行われる。通常高ければ、心筋梗塞の診断に有用である。
そこで、ある人が、こんな仮説を立てた。
「心筋梗塞の見逃しを防止するために、来院患者すべてに、この検査をすれば、確実に心筋梗塞を診断できるあろう」と。
結論から言う。これは、誤りである。
では、証明しよう。
発症4時間後の急性心筋梗塞に対して、CK−MB高値の感度、特異度は、それぞれ55%、97%である。
(Diagnostic Strategies for Common Medical Problems P64よりデータ採用)
このデータは、正しいものとして以下話を進める。
計算のプロセスは、こちらをどうぞ。
診断とは確率にすぎない
http://sakura.canvas.ne.jp/spr/space_yhnt/index.html
さて、この計算プロセスを実行するに当たり、必要なパラメーターが、検査前確率である。
これは、先ほどいったように、診療の「場」を考慮した確率であるともいえる。
次の二つの母集団で、心筋梗塞の人が多い集団(=検査前確率が高い集団)はどちらだろうか?
母集団A:ある内科クリニックに徒歩でやってくる患者全体を母集団とした場合
母集団B:冷や汗を伴う胸痛を訴えて、救急車で病院に搬入した患者全体を母集団とした場合
当然、後者であることに異論はないであろう。 この直感を計算に乗せるために、これらの母集団における急性心筋梗塞の検査前確率をそれぞれ、1/1000、6/10としてみよう。 上記リンク先に示した方法で実際に計算すると、計算結果は次のようになる。
検査前確率 ⇒CK-MB高値⇒ 検査後確率
母集団A 1/1000 ⇒CK-MB高値⇒ 16/100
母集団B 6/10 ⇒CK-MB高値⇒ 96/100
このように、CK−MB高値という結果は同じでも、検査前確率が違うだけで、こうも検査後確率が違うのだ。
つまり、かたっぱしから母集団Aの人に検査をし、そこでCK−MB高値の結果が得られても、その84%の人は、心筋梗塞を発症していないのだ。つまり、母集団Aでは、CK-MB高値という結果でもって、確実に心筋梗塞と診断できないのだ。一方、母集団Bでは、この検査が診断確定に極めて有用であることを示している。
このように、検査結果というものは、いつも即診断と直結するとは限らないのだ。 診療の場の違い(=母集団の違い)によって、たとえ同じ検査結果でも、診断確率は大きく変わってくるのだ。だから、我々は、検査結果の解釈に慎重を要するし、時には、検査前確率を考慮のうえ、ある検査をあえて行わないこともあるのだ。
その例を挙げる。
例1:25歳女性、既往歴に特記事項なし、立ち仕事中に失神をした。
鑑別をあげると
1)神経調節性失神(心抑制型、血管拡張型、混合型)
2)不整脈の出現(頻拍性、徐拍性)
3)転換性障害(俗にいうところのヒステリー発作)
4)脳血管障害
5)低血糖
6)子宮外妊娠
7)肺血栓塞栓
8)過換気症候群
9)消化管出血
10)大動脈弁狭窄症
11)摂食障害をベースにした脱水
12)多発性硬化症
13)状況性失神(排便、排尿、咳など)
14)心筋症、先天性心疾患
・・・・もうこの辺でやめておく・・・・・
まあ、挙げだすと、いろいろある。妄想レベルまで良しとすればさらにいろいろと出てくる・・・。これらの中で、一般的に言うと、この症例で、検査前確率として最も高いと思われるのは、神経調節性失神である。救急初期診療で、マークしておきたいのは、2)、6)、7)は、はずしたくないといったところか。 4)は、疾患存在確率的には相当に低く、失神ということだけをもって頭部CT検査を直ちに行う意義は、ほとんどない。それでも、患者側の希望に合わせたりとか、医師側の頭部疾患への思い込みが強い場合などは、現実的にCTをとることはあり得る。もちろん、何にでも例外はある。だが、このエントリーでは、そういう例外の各論には触れないことにする。よくある失神の患者において、研修医に、失神=頭CTと短絡的な思考にならないようにするのが、救急の現場での指導の重要項目の一つである。
さて、次の状況ではどうか?
例2:25歳女性妊婦38週、既往歴に特記事項なし、分娩中に失神をした。
鑑別を挙げると
1)子癇(前兆も含めて)
2)神経調節性失神(心抑制型、血管拡張型、混合型)
3)不整脈の出現
4)転換性障害(俗にいうところのヒステリー発作)
5)脳血管障害
6)低血糖
7)予期せぬ大量の出血
8)肺塞栓(塞栓子:血栓、羊水など)
9)下大静脈圧迫による静脈還流の低下
10)過換気症候群
等などである。産科の現場は、非日常なので、これらの鑑別リストは、ちと的外れなものかもしれない。現役の産科の先生のご意見を伺いたいところだが、どんなものであろうか?私には、5)の検査前確率が高いとは思えない。 だから、1)よりも5)を優先して行動を起こすことはありえないのかなとは思う。
つまり、私が言いたいのは、症例1においても、症例2においても、仮に、患者が結果的に脳出血であったとしても、最初の失神の時点で、
『失神出現で、直ちに、脳内病変を疑って脳CT検査を行い脳内出血と診断すべきであった』
と主張するのは、以上に述べた検査前確率を考えた視点からすれば、まったくもって的外れな主張だと思う。なお、例2においては、1)を想定して、安静を優先とするなら、なおさら、緊急にCTをとる選択はあり得ないと思う。
我々は、複数の選択肢の中から、患者にとって最善と思える方法を取捨選択して、行動を決定する。しかし、多くの場合、結果(=主たる確定診断)は一つである。
ということは、他の鑑別に挙げたものは、すべてはずれということである。つまり、我々の診断思考回路において、検査結果のあてがはずれることは、全くもって日常であり、むしろ当たるよりも外れることのほうが多いという感覚である。
だから、悪い結果がおきてしまった場合に、
常に「・・・・を想定して診断すべきであった」という形で、医療者側の過失を主張することは、我々の思考回路に対する侵害行為ともいえないだろうか?
また、悪い結果を想定して検査を行ったが、それが幸いにも起きなかった場合には、
「・・・という不要な検査を行ったので、この検査の保険点数は認められない」と医療者側を経営的に締め上げることも容易に可能となる
この二つの主張に両立はあり得ない。しかし、この両者の視点で、医療者を責め続けているのが、今の日本社会でないのかと私はここに問題提起をしておきたいと思う。
裁判は、主張と主張のぶつかりあいの場なのかもしれない。だから、勝つためには、医学的な論理の整合性を意識する必要はないのかもしれない。ならば、裁判に、医学的な真実や思考プロセスは関係ないのかもしれない。
それでも、私は、医療という社会資源が、日本社会で危機にさらされている以上、関係者の賢明な判断に期待をしたい。我々が、医療者側の思考から見ておかしいと思える論理で、世の中が動いていく限り、医療の再生はありえないと私は思う。
2007-12-25 18:45
コメント
標題に「確率」とあったんで、おもわず鉛筆と紙を探しましたが、今日は計算問題じゃなかったですか(^^;。
読んでて、素粒子を連想しました。ちゃんと勉強したことはないんですが、あれも、小さな穴を通過する前は波(確率)で、通過した後は、ただ一つの粒子として観測されるんでしたよね?
by moto (2007-12-25 19:40)
私の少ない経験では、失神は見たことないです。子癇は数例見ましたが。クモ膜下出血も見ました。25歳という若い人で、しかも分娩進行中という特殊な状況で、
9)下大静脈圧迫による静脈還流の低下
で失神するのは見たことがない。意識障害もない。胎児心拍異常はよく目にするが。
2)神経調節性失神(心抑制型、血管拡張型、混合型)
3)不整脈の出現
4)転換性障害(俗にいうところのヒステリー発作)
6)低血糖
既往歴がない人の場合、上記は極めてまれで無視すべきかと思いました。実際のところみたことないです。既往歴があるなら鑑別に入れますが。
1)子癇(前兆も含めて)
5)脳血管障害
7)予期せぬ大量の出血
8)肺塞栓(塞栓子:血栓、羊水など)
10)過換気症候群
は、意識障害の場合はありえますよね。でも失神といわれると困る。失神だけでCTを取る気にはなれない。意識障害ならとるかな。大量出血ならまずは腹部エコー。のまえに胎児心拍異常出現で。子宮破裂かも。ふつうはSpO2モニターは失神だけではとらないかもしれない。血ガスも。有名だが失神だけで肺塞栓はすぐには思いつきにくい。過換気症候群はしょっちゅうある。呼吸指導のみ。
産婦人科はしょせんマイナー。急変時の対応は困難。持続する意識障害ならCTがある施設なら取るでしょうが、失神だけではとりませんね。失神だけでCT取りに行くっておかしい。バイタルとって心電図ぐらいにしてほしい。SpO2低ければ血ガスか。みなさんどうでしょうか。
by もと産婦人科 (2007-12-25 22:44)
おはようございます.
ここ数回のエントリ−でなんちゃって救急医先生が,私たち医療者が現在の世の中の流れに対して感じていた違和感の正体を的確な言葉で表現してくださっている事に感嘆しています.
現在の流れにモロに逆行する形で,来年から救急医を目指して後期研修に入る予定の組長ですが,医療者側の感覚と一般社会の感覚のズレを何とか変えて行く助けを少しでも出来たら,と考えています.
これからも先生の記事を楽しみにしています.
by 組長 (2007-12-26 09:35)
いつも勉強させてもらってまいます。
特別な資格を持つ者が有するはずの「裁量権」は、いつのまに剥奪されてしまったんでしょうね?
復権を望みます。
by doctor-d-2007 (2007-12-26 11:10)