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(回答先: 薬害肝炎患者を一律救済 与党、今国会に法案提出(産経ニュース2007.12.23 11:55) 投稿者 まさちゃん 日時 2007 年 12 月 23 日 18:58:16)
【薬害肝炎問題】23日の福田首相発言全文
2007.12.23 17:06
福田康夫首相が23日、薬害肝炎問題に関して発言した内容は以下の通り。
−−薬害肝炎患者救済で決断をしたのか
「自民党総裁として一昨日(21日)、党に議員立法で対応できないかと相談を始めた。その結果、薬害患者を全員一律救済ということで、議員立法すると決めた。公明党の了解も取ってある。今後は、一刻も早く立法措置の作業を進めてほしい。与党で協議し、国会で審議しなければいけない。可及的速やかに立法作業、国会審議をして、野党の協力も得なければいけない。できるだけ早くこの問題の解決に向かってほしい」
−−これまでは司法の範囲内でということにこだわっていた。この時期になぜ決断をしたのか
「訴訟の問題もあるし、裁判所の判断もあるので、われわれとしては司法・行政の範囲でどこまでできるのかを模索してきた。しかし、限界があり、12月20日に(大阪)高裁に政府の全員救済案を示した。しかし、一律(救済)でなかったということで、原告との間で見解の相違があった。(原告側の)希望にかなっていないということだった。そういうことなので、21日、党と相談し、検討するように指示を出した。その結果、きのう(22日)、党との間でそういう方向でいこうと決めた」
−−判断のポイントは患者の立場を最優先ということか
「行政の問題もあった。許認可権を持っている行政の責任は免れることはできない。ただ、(救済対象者が製剤を投与された)期間のことは裁判長の言うことだが、そういうことでいいのか、舛添厚労相も報告にきていた。私も話はよくうかがっているので、なんとかしたいと思っていた。ただ、私どもの立場としては、司法・行政という枠があるので、その枠の中で判断するしかない。とりあえず、そういうことで検討しなければならない。しかし、それだけで済むとは思っていなかった。引き続き、党と相談し、党の了解を得て立法するということだ」
−−与党、特に公明党から一律救済に応じるべきだという声があった。それも決断の決め手になったのか
「公明党からもそういう声があった。そして、わが党(自民党)もいろいろ意見があった。外の方からも、いろいろ意見があった。専門家からもあった。いろいろおうかがいして、総合して判断しなければいけない。しかし、やはり一番重いことは人の命にかかわることだから、どうしてもそれを無視していくわけにはいかないと思っていた」
−−議員立法での対応は、政治判断を明確にしたいということか
「司法・行政の枠を超えるわけだから、新たな立法措置が必要だ。立法措置になれば、多少時間がかかる。その前に、今の司法・行政の枠内でどうすることができるかを最大限考えた。だから、20日のような結論に至った。それで私たちは満足していたわけではない。なお引き続き、よく聞いて判断しなければいけないと、ずっと思っていた」
−−法案は、今の臨時国会に提出したいか
「ええ。私はそう思っている。可及的速やかに法案を通していただきたい。そして1日も早く、みなさんに安心してほしい」
−−民主党との話し合いは
「当然、話し合いをしなければならない。場合によっては、法案作成に参加してもうらうことがあってもいい。国会の中で、みなさんに真剣な議論を願いたい」
−−もう少し早く、20日の時点で決断できなかったのか
「現在の司法・行政の枠内で何とかできないか、患者の立場に配慮した答えが出ないかということは、最後の最後まで苦労していた。その前(20日)に準備をするということは難しかった。すべきではない、ということになった。最後のがんばりで何とかなるかなと思っていた。舛添大臣もそう思っていた。よく相談しながらやったが、最後、できないということになったわけで、そうすれば新しい局面を考えなければ打開できないと考えた。したがって翌日から党との交渉を始めた」
−−議員立法での対応は、政治判断を明確にしたいということか
「司法・行政の枠を超えるわけだから、新たな立法措置が必要だ。立法措置になれば、多少時間がかかる。その前に、今の司法・行政の枠内でどうすることができるかを最大限考えた。だから、20日のような結論に至った。それで私たちは満足していたわけではない。なお引き続き、よく聞いて判断しなければいけないと、ずっと思っていた」
−−法案は、今の臨時国会に提出したいか
「ええ。私はそう思っている。可及的速やかに法案を通していただきたい。そして1日も早く、みなさんに安心してほしい」
−−民主党との話し合いは
「当然、話し合いをしなければならない。場合によっては、法案作成に参加してもうらうことがあってもいい。国会の中で、みなさんに真剣な議論を願いたい」
−−もう少し早く、20日の時点で決断できなかったのか
「現在の司法・行政の枠内で何とかできないか、患者の立場に配慮した答えが出ないかということは、最後の最後まで苦労していた。その前(20日)に準備をするということは難しかった。すべきではない、ということになった。最後のがんばりで何とかなるかなと思っていた。舛添大臣もそう思っていた。よく相談しながらやったが、最後、できないということになったわけで、そうすれば新しい局面を考えなければ打開できないと考えた。したがって翌日から党との交渉を始めた」