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(回答先: 相対的な幸福感の基準を、どこに置くのか?というのは難しいですね。 投稿者 最大多数の最大幸福 日時 2008 年 1 月 05 日 20:51:14)
>最大多数の最大幸福さん どうもです。
>【Kさん自身は、どうでしょうか?「無職の富裕者」に憧れますか?】
現実の場合には「人間の幸福基準」は「環境」によって変化しますので、何とも言えない部分もあるのです。
「妻が望み」「親が望めば」、Kの幸福の基準も揺らいでしまうという事です。
多分ですが、多く人は「自分の身近な者たち」の笑顔が幸福の基準となるのでしょう。
それを前置きした上で「Kが天涯孤独な一個人」であったとしての「憧れ」を語るなら「無欲で無責任な生活者に憧れる」のだろうと思います。
Kに起因する「誰かの不幸」をKは嫌います。
できれば、全てに対して「無責任」な立場にありたい。という思いがあります。
それは「責任があるのに、とぼける」という意味の無責任と言う事ではなく
「責任リスクの生じない立場」に位置していたい。という事です。
Kは「名誉欲」など屁と思っています。
Kが人並みに持っている欲は「情報に対する知識欲」くらいでしょう。
もっとも、今後、歳を重ねた後は変化する可能性もあります。
「人間性欲が衰退すると名誉欲が湧きだしてくる」とも聞きますので、Kの場合は「そんな事はない」とは思いますが、断言できる訳でもありません。
Kには「プライド(自尊心)」や「見栄」が欠如している面があります。
車も「雨風しのげて走れれば良い」という「実用一点張り主義」であり、出来れば「小回りが効き、車庫入れも簡単な、スーパーチャージャー付きの軽自動車」が良いのですが、諸事情もあり、今は「トロイ小型普通自動車」になってしまいましたが、これがノロイ、坂道登るのに「他の車の邪魔になっている」くらいにノロイので「若干、悔やんでいる」のですが、予算と諸事情から「バランスを取ったら、1500ccの展示車」になってしまったので、現実というのは「なかなか、厄介で、Kの希望は遠ざかっていく」のです。
Kは「諦めの良い方」ですから、欲望が満たされなくても「すぐに忘れて、安住してしまいます。」
最近は「読みたい本」にも「拘り」を見せなくなってきていますから、何に対しても「情熱」が湧きません。枯れ果ててきているのか、悟ってきているのかも微妙ですが、若干は「乞食的な生活」にも憧れを持っています。
ただ、インターネットという文化的アイテムは手放せないでしょうから、最低限、インターネットだけは出来る生活者の位置はキープするでしょう。
食い物道楽をする美食家ではありません。
ラーメンは好きですが、休日で自由に食事を選択できる状況下でも大抵は「希望の食事ではなく、腹が満たせる食事を手早く済ませる」という選択になります。菓子パンと缶コーヒーを車で移動しながら食うという選択です。これは「食欲より、時間を優先させ、本屋で時間を掛けるため」です。
で、本屋で「あれこれ物色して、結局は何も買わない」のが一般的行動です。
それでも「本屋もしくは古本屋にでも行こう」という意欲が湧く時はまだ「目的意識」があるだけマシです。
かみさんが出かけて、家で怠惰を貪っている時ですと「なんか食いに出るかなぁ〜、カップ麺でいいかなぁ〜」と迷ったあげくに「食わずに怠惰貪っています。」
Kって、つくづく「怠惰」です。
>【苦労してまで、富裕者になんか成りたくないです。】
本とインターネットで、適当に暇つぶしが出来るなら「Kは概ね満足」です。
後は、適当に食えれば「ゴミの中に埋もれて居ても気にしません」
人が悪口言おうが、うわさ話をしようが「知った事ではありません」
もっとも、Kの縁故関係者が「それで迷惑を被る」のは困ってしまいます。
そのリスクを低減するのは「社会的文化の変化」でしょう。
怠惰が社会に蔓延すれば「縁故関係者から怠惰者が出たって、当たり前」になるでしょう。
その事から言えば、ベーシックインカムによって、「怠惰も許される社会認識」になるのは歓迎ですが、あまりにも「話がうますぎます。」
「うますぎる話は詐欺」だと思っています。