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今から33年前の事です。
その年(1974年)の11月の終はりか、12月の
初め、新聞に載った小さな広告が、私の目にとまりま
した。 (当時、私は高校生でした)
それは、短冊の様な小さな、細長い広告で、黒衣に身
を包んだ僧らしい人物の写真と、その横に書かれた題
名だけの、映画の広告でした。
そこには、「当分、上映されません。この機会をお見
逃しなく」と言った言葉が有ったと記憶して居ます。
その小さな広告に、何か只ならぬ物を感じた私は、そ
の映画の広告に心を奪はれました。そして、それから
間も無く、都内の小さな映画館で上映された、その広
告の映画を見た私は、深く心を打たれて、家に帰って
来たのでした。
その映画の名前は『アンドレイ・ルブリョフ』。中世
ロシアのイコン画家(聖像画家)アンドレイ・ルブ
リョフの画家としての半生を、想像の物語として描い
たロシア(ソ連)の長編映画でした。
その映画を作ったのは、旧ソ連の映画監督アンドレイ
・タルコフスキー(1932−1986)で、この作
品は、寡作な彼の3番目の作品でしたが、1967年
には完成したものの、歴史の解釈を巡ってソ連当局の
怒りを買ひ、ソ連国内で、事実上上映禁止の状態に置
かれて居た、いわく付きの作品でした。
この映画を初めて観た日の感動は忘れる事が出来ませ
ん。そして、映画だけは本当に沢山観て来た私ですが、
今日に至るまで、この映画(『アンドレイ・ルブリョ
フ』)以上の映画に私は出会った事が有りません。
タルコフスキーは、日本映画、特に黒澤明と溝口健二
に傾倒して居た事で知られます。新しい映画を作る前
には、必ず、黒澤明の『七人の侍』と溝口健二の『雨
月物語』を見直したと言ふ彼自身の言葉は、彼の日本
文化への深い愛情を物語る逸話ですが、『アンドレイ
・ルブリョフ』は、彼の作品の中でも、特に、日本映
画の影響が感じられる作品だと、私は思ひます。
そのタルコフスキーは、後にソ連を離れ、1983年
にイタリアで『ノスタルジア』を完成させた後、事実
上の亡命生活に入ります。
彼はそして、1986年に、スウェーデンで『サクリ
ファイス』を完成させた後、肺癌に倒れ、1986年
にパリで他界しますが、その際、彼は、自分の遺体を
決してソ連に戻しては成らないと遺言を残したと言ふ
事です。
誰よりもロシアを愛したロシアの芸術家が、その様な
遺言を残すに至った理由が、ソ連における彼への圧迫
であった事は明らかですが、だからこそ、彼のパリで
の客死には、心を痛めずに居られません。
今日(12月28日)は、タルコフスキーの21回目
の命日です。
西暦2007年12月28日(金)
タルコフスキーの命日に
西岡昌紀