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(回答先: カスなおじさんのどこがいけませんか? 投稿者 考察者K 日時 2007 年 12 月 26 日 20:57:01)
>自分の事を「カス」と認めるという事は「あっても良い」でしょうし、たまには「ギャグで悪ふざけ」も「あっても良い」と思いますが、何か問題がありますか?
>でも、カスに論破されたら「カス以下の存在」ですよねぇ〜
>まあ、多くの人は「誘導される」という部分もありますから、何とも言えない部分もありますが、格闘家の闘いで「相手の怪我した部分だけを攻める」のを見た人は、どのくらいの比率で「嫌悪感を抱く」のか?「勝つための作戦だと感心する」のか?には一寸だけ興味が湧きます。
某氏によると
詭弁術も弁証論も、ともに哲学と同じ類いの問題にかかわっている・・、しかし哲学は、その知的能力の用い方において弁証論と異なり、また詭弁術とはその生活意図において異なっている。
哲学がそれの知識を得ようとしている事柄に対して
弁証論はただ試論的・非難的であり、
詭弁術は見かけは知恵に似ていて実は非なるものである。(某書、上、p.118)
そもそも「論破」という言葉を持ちだす発想自体が「議論のために議論をする人々」(p.146)、「理論上の強制力を求める人々」(p.145)の発想ですね。
某氏は、「論証の原理は論証ではない」(p.145)と言っているので、生活意図の異なる人々を説得しようとしても、彼らを「論破」することはできない、という結論になります。
* 岩波文庫33-604-3。