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(回答先: 現状に満足しないこと。 投稿者 あっくん 日時 2007 年 12 月 22 日 07:21:17)
あっくんさん どうもです。
Kは今回のあっくんさんの意見に「半分肯定・半分否定」です。
まず、「現状に満足するか」で「進歩が止まる」という意見は正しい見方でしょう。
問題は、その先
>【愚痴も大いに言いたいなら言えばいいと思っています。しかし、それってここであえていうまでのことかな。】
独り言の愚痴、もしくは「愚痴のための愚痴」ならば、Kは「言わない方が良い」くらいに思っています。
Kは愚痴には大まかに分けて3種類あると思っています。
一つは「現状肯定のための愚痴」のろけ話に代表されるのでしょうが、「困ったよ」とか言いながらする「ある意味では自慢話」なのでしょうが、自分の息子が有名大学に行って学費が嵩んで「困ったよ」の類ですが、実際に困っているなら「いつでも解消させる事もできる」という類の「自慢をするための対話手法」でしょう。
2つめが「自分の精神の安定剤としての愚痴」飲み屋で行われる「上司の悪口」に代表されるようなもので「この愚痴には改善を目的としていない」という特徴があります。誰かに自分の苦労を聞いてもらう事が目的であり、改善を図るためではなく「自分の精神安定」を目的としています。
3つめは「改善を模索するための愚痴」
3人よれば「文殊の知恵」と言いますが、改善のための提案、自分では改善策を思い付かないので意見募集のための「現状報告」というような類の情報提供的な愚痴ですが、中には「自分と同じ過ちを犯さないでね」という意味の「経過報告」的なものも含まれるでしょう。
上記の1および2は【それってここであえていうまでのことかな。】で妥当でしょうが、3の場合は「このような場所」で「公にされる事」が「進歩」への一歩ではないかな?と思うのです。
「人の苦労話や愚痴は、聞かない方が良い」、「自分の苦労話は話さないのが美徳」というような「憑き物(固定観念)」が、ある気がします。
現状の社会が、大まかに「不満を抱く人を抱えながらも、緩やかに人生をまっとうできる人によって構成されている社会」であれば、愚痴を見苦しき悪徳とするのもでも良いでしょう。
しかし、すでに、弱者は生きられない社会に変化してきています。
もっと言えば「ごく一部の資産家を除いて、普通の人でも地雷原の中を漂い歩いているような社会」になってきているでしょう。
おそらくは、中流階級以下の人の愚痴を引き出し、分析し、その上で「みんなで知恵を出し合う」という中で「改善を図らないと、近い将来、とんでもない事になる」と思っています。
多分ですが、年収300〜1000万円くらいの人は「過労死・過労自殺」と隣り合わせの発狂寸前の社会で生き、それ以下の人は「生活が成り立っていない社会」を生きています。
これって、社会全体の中を占める割合は「大多数」でしょう。
ほんの一握りの人が「お金にも苦労せず、過労死とは無縁の社会を生きている」のでしょう。
どこかに歪みの元があるはずです。