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(回答先: 進歩しようとしないバカが 投稿者 あっくん 日時 2007 年 12 月 21 日 07:41:52)
>大した能力ないくせに
>社会の役に立ってると思っている哀れな大人。
* 御意。多い。
>おまえがいなくても社会はまわる。
* バカがいなければ、社会は存在しない。
>「死」を意識してみろよ。
* 「死」を意識するのは良いことです。
>楽しい人生でその機会もなかっただろ。
* 他者のことは分からない。ひょっとしたら、彼もまた「死」を意識しながら生きているのかもしれない。そうでないのかもしれない。他者のことは断定できない。
>「不利な人々」から見れば贅沢しすぎ。
* はい、ゴメンナサイ。
>生まれたときから恵まれてるのだから"謙虚さ"が必要だろう。
* 御意。
>福祉国家の保険制度によりかかって甘えてきた大人(←寄生虫)
>「貧困」を無視し自分のことしか考えてこなかった大人。
>断罪されるのが怖くて、若者に当るわけだ。
* すべての大人にあてはまるわけではない。
>そして今さら勉強しても遅いと諦め
>不満を吐き出すだけで図々しく生き続ける。
>ホント、最低最悪。ゴミのようなもの。
* 社会にはゴミが必要。
* 人間の社会はゴミのごとき人類のためにある。
>今までの人生を自省し
>新たに勉強し始め
>社会の役に立とうと考え行動する。
>当たり前のことがどうしてできないのか。
* できるヒトもいる、できないヒトもいる。難しいなぁ・・
>働いてないと勝手に思い込むところもお笑いであるが
>誰もおまえみたいなゴミに温かい目など向けてもらいたくない。
>気持ち悪くて反吐が出る。
>ネット界だけで活動してると思ってんのか。
>子どもでもできることは
>たくさんあるし、やってますが。
>むしろそれは当然で言うまでも無いことでしょう。
* ヒトは、自分の目に触れた部分だけで「すべて」であると判断してしまう傾向がある。
>仕事仕事だから社会に目を向ける機会があっても
>行動まではできないわけで愚痴を言うだけで終わり。
* 自分の見識に見合った行動をするのは非常に難しい。社会への認識だけでは全く不十分で、自分が何をしたらどのようになるのか、という自分の行動と社会的結果(他の人がどう思うか、他のヒトがどのように行動するのか、といった小さな結果が最初にある)についての実践的な経験を積まなければならない。また、どうあるべきか、についての見定めも必要である。
>ああ、なぜ社会はこのような大人ばかり生み出してしまったのか。
* ヒトはサルの進化形だからだと思います。毛が3本多いとはいえ、本体はサルなんですよ。ヒトはサルとして生まれて、ヒトになる《べき》ものだと思います。
>こういう大人のせいでどれほど苦しんできたか。
* たぶん、あっくんさんの苦しみの原因はほかにあるだろう。「変えられないもの」は「原因」とは呼ばない(「条件」と呼ぶ)。
・・中略・・
>社会と個人は相互依存しているので
>バカが社会に悪影響を与えるくらいなら
>「その前に死んでしまえばいいのに」と以前思っていたのだが
>最近また、そう考えてしまうことが多くなっている。
* 同感ですが、バカを殺した場合の損得も考えたほうがよい。人がいなくなっちゃうよ。
>こういったバカが増えないよう
>いかに頑張らないといけないかよくわかる。
>そのために勉強も必要なわけだ(笑)
>そこに感謝しておくよ☆
* バカな大人にならないための勉強は、真(事実をみること、どのようなことが可能性がゼロでないのかを知ること)、善(どうあるべきかを思い定めること)、美(人々の価値観に対応した表現力を持つこと)・・困難な道ですが、可能性はゼロではない。
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あっくんの文章を読んで昔のことを思い出しています。
>こういう大人のせいでどれほど苦しんできたか。
子供のころ、というか高校生のころまでの想像では、世の中はもっと人為的に作られているように想像していた。誰か(大人たち)が決めたんだ、誰か(大人たち)がこのように望んだから、このようになっているのだ、と想像していた。
ところが、学校を出てから働きはじめてみると、世の中が誰かの意思で決まっているというより、もっと混沌としたもの(カオス)であることが分かってきた。一人の人はその人の意思で動いているかもしれないが、複数の人がそれぞれの意思で動きはじめると、訳のわからぬ状態になる。誰か一人の意思で世の中の現状がこうなっているのではない、ということが分かってきた。
数学的に言えば「カオス」というらしい。(※1)
どちらかというと、人々は、世の中のカオス性を見抜いたうえで、訳のわからぬカオスの世の中の中でもがいている、というのが現実だ。そして、そのようにしてもがいている人々の動きが、世の中のカオスを作り出しているわけでもある。
とはいえ、カオスな世の中では人々は安心して生きていけないので、法制度というのは人々に「予測可能性」を与えるために存在している、と習ったような気もする。
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※1:カオス
http://www.nagaitosiya.com/a/chaos.html
http://www.nagaitosiya.com/a/complex_systems.html
「f(x)=4x(1-x)というロジスティック写像は、変数がひとつしかないという意味で単一系であるが、自己言及的に反復適用されるとその振る舞いが不確定になるという意味で複雑系である。」
この「f(x)=4x(1-x)」というのは、一番簡単なカオス関数としてよくあげられるもの。翻訳すると「ある人の行動はその人自身のの直前の状態によって決まる」という意味になる。これだけでも、予見不可能なカオスになる。実際には、人々の行動はその人自身の状態ばかりではなく、他の多くの人々の状態を考慮して行われるので、さらに予見しがたいものになる。
物理学の三体問題(二つの天体の運動は予見可能だが、三つの天体の相互運動は予見不可能になる)もカオスの例。三人絡めば(三角関係では)ドラマの筋書きは予測不能。