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人の世というものは、共同作業によって支えられている。
個人のみの活動だけで完結する生存維持活動は皆無であると言い切っても良いだろう。
山奥で、自分の食い扶持を農作業で確保しているだけの生活をしていたとしても、
個人だけで成り立っているとは、認められない。
その場所の安全と権利は、有形無形に、共同体(現在では国家)が、保障しているからだ。
こういう秩序を保つ公的機関が、まったく無かったとしたら、農地は荒らされ放題になり、
結果的に、自給自足など、絵に描いた餅となってしまうだろう。
その意味で、全ての人間は、「自由気まま生活100%」を送ることは許されない。
何らかの形で、必ず”共同作業”には関わらなければならない。
この共同作業に参加しない人間が多くなればなるほど、真面目に共同作業を支えている人間に
しわ寄せが来る。こんなことで、良いはずはないだろう。
もちろん、一番の問題は、加速度的に肥大化している資本家、金融家であることは言うまでもないが、
当たり前の努力もせずに、国家の税金に、ぶら下がっている人間も、責められて当然である。
共同作業分担という観点で見れば、同じ「非協力」なのだ。
全ての人気のない労働が、ロボットに代替された場合は、大半の人間が「自由気まま生活100%」に
移行することも出来るのだろうが、今は、まだ、その段階にはなっていない。
今を生きる人間としては、少しでも多くの人間で共同作業を分担し、「減労働」「時短優先型社会」を
目指すことが、ベストな選択であると思っている。
そういう意味では、共同作業を一生懸命にこなして、社会を支えている人間達を
馬鹿にするような言動は、けっして「進歩」には、つながらないものだと考える。