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(回答先: 人を一人殺した事が「間違いない事実」であれば、死刑という判決は妥当の範囲でしょう。 投稿者 考察者K 日時 2007 年 12 月 03 日 07:03:06)
虐待を受け続けた人が怒りの為に殺した場合、介護に疲れて殺した場合、同じ殺人でも情状酌量で刑が軽くなる場合がありますよね。で、「これは許しがたい。死刑に値する。」と判事が決定した場合、その決定に至る根拠はどこまで明らかになっていますか?私は「目には目を」という論理は野蛮だと思っております。将来に渡って自分は人を殺したりはしないと信じている人にとって殺人犯とは正に「他人事」であり自分とは全く異質な存在として「死刑!」と無責任に判断しているのだと思います。世間一般の感覚からいくと「これは死刑にすべきだという意見が多いだろう。」という憶測で判断している場合もあるでしょう。私はその世間一般の感覚とはどこから派生したものなのか?を問いたいのです。世間一般の思想に中に混入している支配者の意思を考慮しているのです。貧困が生じるのは本人の努力不足だけの問題ではありません。犯罪も同じです。いかんともしがたい極悪の遺伝子を持って生まれてきたから犯罪を犯したなどと私は思いません。貴方は現在の司法にかなり信頼感を持っているようですが私にとって現在の司法は信頼できない面があります。犯罪に至る経過を充分に調べずに犯罪そのものに対して単純に処罰するという役割以上のものを果たせていないと思います。これではいい社会にはならないでしょう。