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前々から、気にはなっていたのだが、相当多くの日本人が「解説が出来ない」
日本人の応用力の低下が懸念されているが、これも、それに近い現象なのだろう。
「憲法改正の議論には応ずるべきではない」と叫ぶ「護憲論者」に「なぜ?」と問うと回答が返ってこない。
「君が代不起立運動」のプラス効果を問えば「明確な解説」が返ってこない。
「死刑廃止」がなぜ必要と問えば「死刑が嫌い」とでも考えているとでも思うしかないような意見しか出てこない。
Kは議論は強い方ではない。実生活の上でも、ある場でも「Kは議論などに勝ったためしがない」と言うくらいに「超弱い」とも言える。浅学非才のアホは伊達ではない。
そんなKでも「多少は論理考証は行う。」
その上で、論破される事を承知で「問題提起」をしてみるのだが、どうも、論破されない。
それ以前に「まともな論理考証された意見が出てこない」のである。
自民党政治からして、数の論理に頼り切った「論理考証されていない政策」を数で押し切るという手法が目に付く
「郵政民営化」においては特に気になったが、ついに最後まで「なぜ、今、郵政民営化が必要なのか?」の明確な論理考証は行われなかった。とKは思っている。
あったのは唯一つ「小泉氏が郵政民営化をするべし」と言った。だけである。
日本人は「論理考証」を「しない」のではなく「出来ない」のだと思われる。