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最近、Kの周りで自殺者が出た。
以前にも、Kの友人が自殺した。
今回の自殺者は、Kは直接的な友人ではなく「友人の友人」という関係だが、Kの友人には「人生観を変えるほどのショックがあった」ようである。
「自殺者には同情が集まらない。弱さに対する批判だけがある。」
「死ぬ勇気があるなら、何でも出来たはずだ」
前に自殺したKの友人の時にも感じた疑問を今回も友人から聞かされた。
そこで思った事は「日本は世界でも有数の逃げられない社会構成になっている」のではないか?という考えだ。
モンスターペアレンツに象徴されるような「異常に高い要求」が顧客利用者から求められる。
上層部からは「上層部の責任逃れのための『読み切れないような机上の空論の指導文書』が発せ続けられる」
顧客あっての事業である。
企業から給与をもらっての労働者でもある。
どちらに向かっても「決定的な対立関係を作るわけにはいかない」
この板挟みは「八方塞がりの出口なし」の無限地獄であろう。
最後の選択は「逃げる」という「今の生活を全て捨て去る」という事になる。
その「逃げる」という選択の中には「この世からの逃避」も含まれるだろう。
見渡せば、自立の出来ない日本、再チャレンジなどというお題目をせせら笑うかのように「失業者、ワーキングプア、ニート達が溢れている」
組織に加入すれば「才能は摘み取られ」
組織に加入しなければ「圧倒的に不利な人生」が待っている。
日本では「集団主義」と「個人主義」の融合が最悪の形として現れてしまったのである。
「他者依存」が根強く残る国民性が残っている。
「自己責任」を厳しく求める組織保護の管理官僚機構が実質的な支配をしている。
そこで、政治を司っているのは、庶民の暮らしとは縁のない「職業、政治家」という政治家達である。
その板挟みになっている階層の人たちには「見渡す限りの地獄の平野が見えている」のだろう。