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(回答先: 死ぬと分かっていても働かざるを得なかったのではないですか? 投稿者 ワヤクチャ 日時 2007 年 11 月 10 日 23:30:02)
>ワヤクチャさん どうもです。
あきれ果てる愚論に接して、寝てしまいました。
正直に言って「これほどのバカがいるのか?」くらいの思いです。
ワヤクチャさんの論立ては「過労死した人への同情心」をクローズアップして「本質から眼を逸らそう」とするもので、ディベートを意図しているのかまでは断定できないにしても議論に勝つためだけの「屁理屈」になっています。
ここで、一つの質問をします。
「謎の伝染病で病死した人がいた」として、伝染病による更なる被害者を出さないために「医師は解剖をしたい」と申し入れをしてきた時、多くの家族は「死者にメスを入れるのは不憫」と言って、解剖には拒否反応を示すだろうと思いますが、それは、正しい姿勢でしょうか?
「死者にムチ打つ」という行為を「不憫」と思うのは「遺族の勝手な考え」でしかありません。
死者に「思い」があるのかは分かりませんが、Kは「もしKが過労死したなら、Kのアホさ加減は徹底的に断罪してもらってもかまいませんから、被害者の拡大を減らすと言う事を第一の優先事項に現象の分析をしてもらいたい」と考えています。
>【自分の体の事ですから「これ以上働いたら死ぬかも知れない。」と思ったのではないですか?そう思っていても働かざるを得なかった。】
まあ、言葉的な意味合いの問題ですが漠然とした予想と「死の確信」の差の問題です。
「死ぬかもしれない」と「死ぬに違いない」には天と地ほどの差があります。
歴史的には「神風特効隊」という例があり、今も「自爆テロ」という実例がイスラム諸国の中で起こっていると言われていますが、ワヤクチャさんは「特効あるいは自爆テロ」という行為を「素晴らしい行動」と評価するのでしょうか?
Kは「愚かしい行為」と考えます。
考え方を簡単に説明すると「特効」は「当時の社会情勢では断る事は非常に困難であり、特攻隊員は被害者である。」と思います。
社会情勢の中、周りの人は全て「憑き物憑き」であり、反戦特効拒否など出来る状況ではないでしょう。「まともではやっていられない」という世相があり、まともな者は「仲間に殺される」という異常な価値観の社会だったのでしょう。
ですから、特攻隊員は「国に殺された被害者」です。
しかし、特攻隊員が特効の標的とした「目標」としての相手も「同じような国の被害者」です。
「特攻すれば確実に死が待っています。」
「特攻を拒否する事の先には、確実な死が待っている」とは言えません。
選択肢としては「特攻の拒否」と「敵前逃亡(=敵に投降する)」という手段もあったでしょう。無論、簡単に選択できる道ではないと思いますが、「特攻によって確実に死に、更に、同じような国の被害者である人間を殺す。」に比較すれば、多少はマシな選択肢もあったと言えるでしょう。
「特攻という行為は愚かしい行為」と認定し、否定する事が「残された者」の選択肢としては妥当でしょう。
決して「英雄と称え、賞賛してはなりません。」
「慰霊」と「英雄視」は別物であり、残された者がするべき事は「同様の被害者を出さないように考える事」であり、死者の霊に礼を尽くす事ではありません。
>【判断ミスなんて軽い次元ではないでしょう。言わば特攻精神で無理やり働かされたのです】
多少のサービス残業など「過労死によって、帳消しになり、その頑張りとは比較にならない損失を企業にも、仲間にも、家族にも与えている」というのが事実でしょう。
>【過労死をした労働者は。それでも労働者の判断ミスなどと死んだ犠牲者をムチ打つのでしょうか?】
過労死をする事は、愚かしい行為だとの社会的認識を形成するのが「過労死を無くす最大の近道」だろうと思います。
「過労死する人こそ社会の英雄、労働者の鏡だ」などという認識を形成すれば「過労死はなくならない」だろうと思います。
過労死した人には「社会の共通認識の犠牲者」という側面もあり、「自己責任の判断ミス」という側面もあるのですが、最大の責任は「人員比率としての労働力を計算しなかった企業」であり、「価格競争の資本主義制度の本質」にあります。
社会の共通認識には「過労死は愚かな行為」という共通認識を育て
労働者には「過労死するのはバカだよ」と悟ってもらい
企業には「労働基準法違反は結果的に損だと思い知らせる」のが正解です。
これを、総合的にやろうとせず、企業に対しての罰則強化という側面からのみで手を付け、しかも、チェック機能としての労働基準監督署の人員配置も少なく、チェック機能が「まともに機能していない」から、サービス残業が無くならず、過労死も続いているのです。
過労死としての知識が世間一般的に知られていない「数年前」ならば、「過労死した労働者は単なる企業の被害者」と評価しても許されたかもしれません。
しかし、今におよんでも「過労死」するのなら「自己責任の部分は確実にある」でしょう。
「労働相談所」という存在を知らないという事があるとして。
不勉強は「その一点だけでも無実にはならない」という側面も有しています。
ただし、それを知らない人のみの責任を問うのも「正解ではありません」
極端に言えば「過労死した人を救えなかった社会全体が加害者」です。
Kもワヤクチャさんもですが、生き残っている「全ての人」は加害者でもあるのです。
「被害者を救えなかった罪」
それは、社会全体に発生しています。
「ブラック企業の存続を許してきた罪」
ここは社会全体の責任でしょう。誰も責任逃れはできません。
そして「サービス残業」などの企業への貢献を美徳と考えるような「誤った共通認識を持った社会を変えようとしてこなかったという罪」こそが、最大の問題です。
労働基準法違反の時間外労働は法律違反であり、許してはいけないのです。
無論、仕事を一段落させるまでとか、突発的な仕事量の増加とか、アクシデント発生等の緊急回避的な残業発生という場合はあるでしょう。
その場合は「時間外手当」をもらうべきであり、恒常的に時間外労働が発生するのなら人員配置を増やすべきと「全ての労働者が共通認識を持つ事」が大切なのです。
しかし、日本社会では「そのような共通認識を育てる努力をしてこなかった」
それは、全ての日本人の罪として悔い改める必要があるのだろうと思っています。