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(回答先: この辺で終わりにしたいですねぇ〜 投稿者 考察者K 日時 2007 年 10 月 08 日 16:19:01)
数年前のことですが、テレビで中国の映画だかTVドラマを見ていて、とても懐かしいような雰囲気、活気というものを感じて不思議に思いました。
その懐かしい雰囲気、活気というのは日本の昭和の時代後半のものだったからです。
なんだろうと考えましたがわかりませんでした.
しかし、ある日、近所に一辺が数百メートルもある空地が出現し、それを見ていてまた同じような感じを受けたのです。それは研究所が壊された、木々がところどころ残った空間でした。
何かこれからまだ作ってゆく地があるという感興でしょうか。それとも、変化がある中で、ゆとりのような空間も広がっているという安堵のような感でしょうか。未来が残されているという希望の象徴のようなものなのか、やはり僕にはわかりませんでした。
地球の環境問題はつまるところ人口の問題だという地球環境の専門家の言があります。
たしかにそうかもしれないと思います。
今、環境問題で日本のメディアは中国をパッシングしていますが、日本の高度成長期時代の公害は、現在の中国よりもっとひどかったと思います(もちろん、当時より技術が発達しているという要素が大きいですが)。しかし、公害患者を多数生んだものの、それが今のように地球規模の問題とはなりませんでした。また、当時ひどかった空気、川などは比べようもないほどきれいになっています。当時と比較してですが。また、それは科学技術の発達によってですが。
最近、少子化を防がないと国が滅びるみたいなことも言われ(一つには、近未来の現実的な養い手の不足の問題として、もう一つには人口減による国の世界におけるおもに経済規模の縮小による地位の低下の問題として)、少子化対策が大きな債務であるかのようなことにもなっています。しかも、どの先進国もそろってです。
しかし、これ以上地球の人口を増やしてどうするのだ、とも上のようなことから考えます。
世界における地位が低下したからといってそれが何だと僕などは思うのですが、こういう地球規模の科学的事実ともいえるものより「国」を上位に置くことに重きをおくような観念から逃れられなければ現実に地球の環境は人類が住むに適さないものにかわりつつあるのではないかと思ったりしています。経済の問題についてもまた同じようなことがいえる過程に入ってはいないだろうか、ともです。