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(回答先: 稚拙ながらも、意見を言い合う過程において、洗練されてくる道筋もあるんだろうと思います 投稿者 最大多数の最大幸福 日時 2007 年 10 月 06 日 10:14:20)
最大多数の最大幸福さん、こんにちは。
今の自分が政治活動において「理論なき行動は死、行動なき理論は無。」(H.マルク−ゼ)の体現者であるかどうかと問われたならば、真っ当な答えを持ち合わせてはおりません。けれども、過去にも今にも最大多数の最大幸福さんがそうした自問をご自身に課した状況にはなかったことが、これまでの応答内容から容易に窺うことできるとは思っています。
しかしながら、行動(実践)と行動(実践)の間の陥穽を埋めるべく理論(論理)があるのか、或いは理論(論理)と理論(論理)の結節点を満たすべく行動(実践)があるのかを問わず、両者を重んじるMind-set(思考態度)が人間が認識を深めていく上でその知的営為に大いに益するものであることには変りがないでしょう。
>たしかに、わたしは、経験も知識も乏しいナレッジプアの人間だと自覚しておりますが、 だからといって、主張している意見の妥当性に、何ら影響を与えるものではないとも自認しております。
かくして私はナレッジプアを自認する人と会話をしていたのでしょうか。そして、それを受け入れなければならないのでしょうか。
>「経験・知識のある者が、正しい政策が出来る」 「経験・知識のない者は、正しいことは言えない」 という思い込みこそ、思考停止なんじゃないでしょうか?
それは最大多数の最大幸福さんの一方的な想い込みというものではないでしょうか。私はこれまで何方にたいしても経験や知識の多寡を問題にしたことはなく、但し、その人の経験や知識が対象化されているものであるかどうかを問うていることはあり、それが対話の受け手に課せられた最低限の役目であるとも考えています。
>そういうことを、具体的に書いていかないと、世の中、何も変わらないというのが、 ナレッジプアである私の意見です。 そして、この意見は、決して、間違っていないと自負しております。
最大多数の最大幸福さんをして「間違っていないと自負」させるものとは一体何なのでしょう。こう云った物言いは私が旨としている対話の作法にはあり得ぬことですので、対応に窮してしまいますが、何時か機会をとらえて詳説していただければと願う次第です。
また、会いましょう。