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(回答先: 特定のブログを毎日、投稿するというのは”客引き”をやっているようでちょっといやな感じがしますが 投稿者 Sun Shine 日時 2007 年 9 月 01 日 07:43:39)
>Sun Shineさん どうもです。
今回の提起についてKは2つの印象を持ちました。
1つは「そんなつまらない事を提起するなよぉ〜」
もう一つは「視点の提起(自省のためにも、改善のためにも)は常にするべきなので喜ばしい事だ」です。
最終的には「管理人さんの判断か、阿修羅総体での総意」によって決められるべき事だと思っていますが、K個人としては「阿修羅の利用方法は、個人の良心・良識の範囲で、出来るだけ自由であるべき」と考えています。
つまり、投稿の制限は「できるだけしない方が良い」というのがKの基本的な意見です。
広告と一概に区分けして「規制」をするのは危険でしょう。
K個人は「ブログ連動のアジ演説」しても良いと考えています。ただし、それが自分の良心に対し「恥じるべき行為」でないと「その人が判断される範囲内」においてです。
他人の評価は2の次、3の次です。人の価値観は千差万別ですから、「広告ぽっくって嫌」という人にまで配意していては「投稿できない」という事になってしまいます。
開放型で拡大を目指す公開掲示板では「投稿しやすい雰囲気」が重要でしょう。2ちゃんねるはそれに成功しました。
「広告」というのはリスクも発生します。場合によっては「Kのような変人を誘う込む事になって、好き放題な事を書かれ、意図とは逆効果になる可能性だってある」のです。
管理人さんは広告をあまり好んではいません。
論理展開次第では「広告禁止」になるかもしれませんが
「さじ加減」は期待できません。最終的には「杓子定規な息苦しい投稿規範」が出来るだけと言う可能性が高いでしょう。ですから、「つまらない提起をするなよぉ〜」と考えます。
一方、2ちゃんねるのような「栄えているが不良のたまり場」というような雰囲気の掲示板にならないためには「一定の投稿規範」が必要であり、問題提起は「阿修羅の未来を思えばこそ」なので「入り口の段階での拒否」は間違っているのでしょう。
Kは「基準は個人の良心」と思っていますが「他人に言われなければ気付かない」という事は多々あります。
広告行為であっても「個人の良心に照らして、誰に恥じる行為でもなく、社会全体のため」と信じて行っている場合と、打算によってされている行為の場合では違うのでしょうが、この違いは見分けるのは困難でしょう。
ただ、アクセス数の増加は「多数派形成のためには必要であり、現在社会において自分の理想を実現するためには有効な手段の一つ」です。
阿修羅の訪問者は「多数の人が政治的な思想を持っている」と思いますから、規制をしたら衰退に向かうかもしれません。