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れんだいこのカンテラ時評316 【朝青龍出場停止処分騒動】
【朝青龍出場停止処分騒動】
大相撲横綱・朝青龍が来期二場所続けて出場停止処分を食うという「朝青龍出場停止処分騒動」が持ち上がっている。マスコミが相変わらず正義のペンと解説を能弁にまくし立てている。れんだいこは意見が違うので発信しておく。
れんだいこは、朝青龍(26歳、本名ドルゴルスレン・ダグワドルジ、モンゴル出身)の人となりは知らない。テレビで見るだけのことであり、先の名古屋場所で21回目の優勝を遂げ名横綱の実績を積み重ねつつあることを知るばかりである。
その朝青龍が、「腰の疲労骨折と左ひじの靱帯(じんたい)損傷で全治6週間」との診断書を添えて夏巡業の休場届を協会に提出し、この間モンゴルに凱旋帰国していた。この時サッカー元日本代表の中田英寿氏らと身も軽やかに嬉々としてサッカーに興じていたことが発覚した。
2007.8.1日、日本相撲協会は東京・両国国技館で緊急理事会を開き、朝青龍を9月の秋場所と11月の九州場所の2場所出場停止と減俸30%(4カ月)、この日から九州場所千秋楽(11月25日)まで謹慎処分にすることを決めた。師匠の高砂親方(元大関・朝潮)も、監督不行き届きで減俸30%(4カ月)の処分となった。同協会によると現役横綱の出場停止、減俸は初めてであり、異例の厳罰処分と云える。
日本相撲協会もマスコミもこぞって、「横綱としてあるまじき朝青龍の非行、軽率」を批判し、「強いだけの力士で良いのか」論に依拠して横綱としての品位と義務と責任を説いている。れんだいこは、この論調は違うと思う。最近流行りの気難しい且つ安上がりの正義批判に便乗しているだけではないかと思う。よって以下棹差す。
日本相撲協会も日本のマスコミも、横綱の品位を頻りに説き、横綱の出場停止処分を正当とするが、横綱をしてそのような処分に付すことこそ横綱という地位を侮辱し、ひいては相撲界の品位を貶める椿事ではなかろうか。裏にどういう事情があるのか知らないが、やって良いことと悪いことが有り、横綱の出場停止処分なぞその域を越えていると云うべきではなかろうか。
なぜこの式の正義が罷り通るのか。それは最近の風潮に関係があると見立てる。ネオ・シオニズム・イデオロギーが主流となっている現代らしい説法であり、1970年代の在地型社会主義とも云うべき戦後保守本流の角栄−大平同盟が覇権を確立していた時代には登場しなかった正義ではなかろうか。無内容なところに拘り、正義を強調し、肝心要のことはさほど重視せず言及しないという倒錯事象ではなかろうか。
この種の病的正義が横行し始めている。例えば、著作権「要通知・要承諾」強制論も同じだ。ごく最近の「川内による森歌わせない事件」も然りだ。マスコミは、前者の例では「要通知・要承諾」当然論に与し、後者の例では川内にエールを贈っている。しかし、本当にそうだろうか。れんだいこには、単に気難しく云い始めているだけの気がしてならない。何事も本筋が第一に評価されるべきで、本筋以外はなるべく穏便に済ますがよろしいのではなかろうか。今はその逆の方にばかり関心が向けられている。
分かり易く云うと、相撲取りは土俵の上で良い相撲を取り、ファンをうならせるのが仕事であるべきだ。歌手は聞かせて何ぼの商売だ。スポーツ選手は見せて何ぼの商売だ。ところがいけない。今は、それらが当たり前とされ、次の要件である1・品行方正であること、2・清廉潔白であること、3・組織に従順であることの三つが異様に重視されている。しかし、それらがいくら間に合っていても下手な相撲取り、下手な歌手、下手な選手では意味無いのではないのか。まずは本業精進充実であり、三つの要件は、そうであれば望ましいと云うぐらいにして手加減評価されるべきではないのか。
このことは政治にも当てはまる。かってクリーン三木と呼ばれるへなちょこ首相が居た。徳島出身であるが地元に何ら寄与せず、政界でいつもキレイゴトばかり云いながらバルカン政治家としてウグイスの谷渡りで名を馳せた。彼は死して何を残したか。日本の国益にかなうものは殆ど無い。ロッキード事件で異様にはしゃぎ、ネオ・シオニズム奥の院の指令に忠実に立ち回っただけの履歴を晒している。マスコミは、よほどウマが合ったのか、クリーン政治家として今も称えている。
果たして、そういうクリーンが本当に素晴らしい事だろうか。そう問う姿勢が微塵も無い。それに比して、悪の権化として悪し様に云われ続けている角栄の生き様と業績を見よ。今日曲がりなりにも日本が経済的余力を残しているのは、角栄ご一統のたゆまざる社会基盤整備のお陰ではないのか。彼は企業家であり事業家であった。政界に進出することで、日本を企業と見立て、その経営事業に邁進した。批判されるべきことよりも、評価されるべきことが断然多い。
その角栄を悪口三昧した口調が、著作権「要通知・要承諾」強制論、「川内による森歌わせない事件」、「朝青龍出場停止騒動」にも乗り移っている気がしてならない。れんだいこに云わせれば、それらは安上がりの正義論でしかない。そういう軽薄な正義を尊び、本当の正義に向かわないのが今の時代の風潮のような気がしてならない。
補足すれば、物事の考え方、行い方には常に幾通りも方法が有り、どの道を通っていくのが望ましいのか常に吟味しなければならない。これが絶対などと云う論法や正義や方法は滅多にない。そうなのに、いとも容易く一つの型の論法、正義が押し付けられ、それに提灯する者が多い。翻って考えてみるのに、我々は、そういう偏狭な論理と闘っているのではなかろうか。
こう考えずに、「一つの真理」を振りかざし、云うこと聞かなければ刺客攻めにあわす手法に耽る馬鹿者よ、それにソウダソウダと相槌を打ち提灯する幸せ者よ、れんだいこがこれから君たちの不正義の成敗に向かう。心しておけ。
もとへ。朝青龍をして本国凱旋を許さない仕組みこそおかしいのではないのか。英気を養って土俵の上で良い相撲をとらせることが、横綱に対する配慮ではないのか。日本相撲協会よ、国技まで偏狭な論理に染まらないでくれ。日本の美徳はある意味でおおらかさにある。この伝統を育んでくれ。その上で、朝青龍に暴力癖があるなら、いけないことはいけないとして対処してくれ。しかしなぁ、横綱を出場停止に追い込むなら、同時に理事長辞任の覚悟で言い渡せ。これが道理というものだろう。
それはそうと、小沢が、この選挙に過半数取れず負けたら党首を降りるのみならず議員も辞めると背水の陣を敷いたのはかっこよかったなぁ。他の党首のちまちました弁明ほど醜いものは無い。確かにオウンゴールで
拾った面もあるが、あの決意が度肝を抜いて投票に向かわせたのも事実だろう。評するならこういうところを評したいと思う。
2007.8.2日 れんだいこ拝
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れんだいこ 人生学院
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