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人間と云うのは「アナログ的な生き物」と言える。
端的に言えば「気まぐれ」なのだ。デジタルのように「2元論」で割り切れるものではない。
全く同じような場面においても「同じ決定ができるか?」と言えば言えないだろう。それが、人間の性質であろう。
で、今回は「絶対に勝てない場面」というものを考察してみた。
人間の反応は千差万別で気まぐれなのだから「やり方次第・工夫次第」で血路を開く事は可能だろうか?
圧倒的な戦力の差があったとしても、あきらめなければ「可能性」はあるだろう。
桶狭間の戦いで織田信長は今川義元の軍勢を破った。
それ以外にも歴史上には戦力の差を跳ね返して勝利したという事例はある。
これは、勝利の条件として「戦力」は大きな要素の一つではあるが決定的な要素ではないと云う事を物語ると云うことである。
絶対に勝てない議論というのはあるだろうか?
もちろん、こちら側の理論が誤まりであるならば「勝てるのが間違い」と云う場面はあるだろう。
ガリレオは「地動説」を唱え、当時は議論的には勝てなかった。
が、議論的に勝ったといえるだろう「天動説派」の人達が勝った事が間違いだったのは後の世界で分かったと言えるだろう。ただし、正確には「天体動説(太陽系さらには銀河系そのものが動いている)」こそが正解だったのでガリレオの説も不完全ではあったとも考えられないこともないとも言えるかもしれない。
そのように「最終的には白黒がハッキリと付く」という「事実に基づく現象」ならば、議論の勝ち負けにはあまり意味はないとも言える。
仮に「Kが何を吼えていても」事実は事実であり、間違っていても「事実の方が捻じ曲がって変わる」と云うことはない。「Kが間違った事を吼えている」というのが事実なのである。
「理念」とか「方向性」というような多分に「人間の主観に基づき判断・評価されるような価値観」と云うようなものには「絶対基準的な正解」はない。
ただし、この表現は不適当かもしれない「今の所、正解は発見されていない」の方が妥当である可能性はある。「絶対音感」なる感覚を持っている人が存在するので、将来的には「人間の感性すらもデジタル的に割り切れる」と云う可能性もゼロではないのかもしれない。事実として「ある種の色の組み合わせを点滅させる」事で人間に癲癇的な症状を発現させられる事等が分かっている。突き詰めれば「人間もデジタルの組み合わせの集合体」なのかもしれない。
話が大幅に逸れた気がするが、より正確な表現を心掛けると文は冗長的に長くなると云うことである。
結論に行ってしまおう。
絶対に勝てない議論は「相手が信じられないくらいにバカ」と時と「相手が自分に利がないのを判っていながら、それでも絡んでくる」時に起こり得る。
これは「逆もまた真」である。
相手からすると「こちらが信じられないくらいバカ(=理解力・対話能力・知識がない)」と映っているのかもしれない。
そのような時は「見捨てる」しかないのだが、それができない場合には。周りの迷惑も考えないで「場を荒らす」と云う事になる。
アホである。