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生 け 贄 の ス ケ ッ チ
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「生(け)贄」史観でいうと‥‥
戦国時代そのものをプロモートしたのが、イエズス会を手足とするMだった…という図式は成り立つか?
タコ(労働者転用生け贄、潜在絶対搾取)か、コール(特定ナンバーによる呪文、
もしくはコードとして含む念仏や流行語や“時の人”のMネーム)なのか‥‥、
その何れが(本来的に)主なのかは定かでないとしても、それらが重なる場合にこそ「魔王御利」が
絶大化されようことは疑うべくもなく思われるのだが。
‥‥‥‥
「戦争」のみならず「戦国」という時間が、組織的生贄収穫期(集中相)であり、
また首を刎ねるのが心理効果以上であることは、悪魔自身を黒幕にもつ武将・
君主には知られていたのかもしれない…。…したがって、「対する平時の戦国体制」下では、
生け贄数を補うに相応しい割腹という行為がしきりに白い儀式空間で催されたと思う。現代でならば死刑も然り、
しかし無様にも無駄にもこそ腹を切ること、そして同時に首を刎ねること、これらタコ(…奉公という労働行為の
延長上に騙しの二重搾取が包蔵されていたとするとどうか?)の中身自体にも、
2つの有効「生け贄要素」が同梱となっていたようなのである‥‥ではコールとしてはどうであったか?
「戦国」という言葉自体がM数を含んでいるのであれば、それは悪魔の称揚なり、さもなくば専ら
生け贄用語(ヴィクティム指定の鑑札、応力集中の標示)であったことだろう。
「戦争」が(雇用ならぬ、雇用よりは“実勢”的、もしくは“生活”的な)生け贄創出行為である場合、
或いは「戦艦」という言葉‥‥より具体的には「殺戮の斧」となろう名詞にしても、他ならぬこれらこそ
M語ではあるはずなのである。 戦国と戦艦のコール上のM数‥‥「略」
この場合の「斧」とは「武器」という語義に留まらずして「櫃」の含意をも担うことであろう…つまりは、
「戦艦」は沈む場合にさえ、その正統な機能として(自らに対する)「斧」なのであろうと思われるのだ。
よって自刃となる腹切りの部、そして他者の手になる介錯の部をもって割腹というものには自他が
「社会という理由付け」を介して理不尽ないし不自然に悶死する、生け贄としての特異価値が確保されるのであろうと思う。
M文脈上のその意味では、ヤマトもアラブだましいも、おぞましき勇ましさというかたちで軌を一にしているのではないか。
‥‥おまけ‥‥
更にその場合において同音の「選管」というワードもが等し並みにM語なのだとすると、
(選管が必ず動き、何かヤラセのような違反事件が起きてメディアに頻度よく露出しては
風物詩の如くに語られるのであれば、)選挙というものは「平時のカラ戦国」というニュアンスを…(意外にも)
色濃く映し出しえているのかもしれない。Mにとってみれば、これ等が万世いささかなりとも変質する事の無い
ルーティンな日常業務(生活最重要イベント)に据えられて
久しい営為の一つであるなら、且つ又コール自体もが目的と目され、
年中行事編成の根幹に位置付けられている可能性すら有るのだろう。
しからば、その組織の要人が(影武者ではなく)同じく「栄誉の一角」たる京大主席の哲学科Mであったりする際には、
生け贄の意味せんとする処の極意を踏まえ、それでこそ漸く組織の国内最高位(?)に就きえたのかも
しれないではないか。彼らMは…芸能界であればスキャンダル自体で評価されるとか「お騒がせのセレブ」が
一つのキャラ職であると云うよりも(近年の仮説の先に想像される処としては)寧ろ当然に
充分な「M数の奉納」で動いている筈なのである。
「戦艦」はM語ゆえに、例えば零氏が、現代に“蘇らせた”言葉なのであろう。
その「零士」というのは“ゼロ(ゼロ歳児ないし深夜零時)を装ってはいても(?)”
M数としてはレイジの「本性」即ち9699(…REIJI 18 5 9 10 9)に当たる筈なのである。
「戦艦」の持てる意味が変わってしまうのだろうが、「戦争」は「生産」をしない労働などなのではなく、
まさしくそれが絶えず亡者を産出し生命を剥奪し還元作用を行う特設工場であるなら、そこから随時少量の
生産物が排出される象徴が仰げば逆光で黒い戦艦の勇姿ということでもあるのかもしれない。
宇宙葬を繰り返しながら、「生け贄のセンカン」の道行きを高らかに謳いあげ霧の国の一族ニーベルンゲンの“禁断の指輪”を
好む勇ましい“松本「あき」ら”らしいといえば(これも又)恐らくはそうなのであろう。「戦争」を
主軸に据える世界観の世界とはとりもなおさず斯様な重「供(‐犠)/贄」主義との側面を指摘しうるのではないか…?
(エネルギーの供給で視る産業構造としても…)
…したがって英雄(奇)譚などというものは所詮は表の顔なのであろうし実体経済になっている貨幣の部分が、
生け贄を価値単位とする(黄泉との交易ならぬ)ATMシステム、引出・預入を伴う霊的流通なのかもしれない。
ビジネス化されていると思しき処からは、(たとえ人格化した表現こそ用いずとも)
これは霊的側面での陰面の奴隷である、ということが出来はしまいか‥‥。
そこで改めて想わせるのが‥‥
“氏の銀河鉄道が999”
“YAMATO2520は9”‥‥
ということの「重み」であろう。