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学生が学生運動の指導者・幹部になる事は稀である。どこの国でも学生運動の大半がその上の世代となる。
終戦直後生まれの団塊世代や戦中生まれの安保世代が学生運動をするとすれば、その理論的支柱は戦前生まれの者が作るのだ。学生運動にせよ、若者文化にせよ、実際の大半は完全にもっと上の世代がお膳立てをするのだ。
しかも、団塊の世代になれば高校に進学者は確かに、もっと上の世代より遥かに多い。しかし、大学まではどうか?確かに上の世代よりは確実に多い。しかし、高校のクラスの半分が大学に行っただろうか?実際は中学出て板前の修行に行った人もいるだろう。
マスコミ関係者には、そんな団塊世代の中の、大学進学者の中の、更にノンポリや右翼学生でない旗を振った人間が多い。だから独特な団塊の世代のイメージが出来る訳だが、実際の団塊の世代は終戦直後に生まれたという以外は前後の世代と変わりがない普通のおっさんである。
団塊世代の価値観は大学時代の左翼思想も含めて、完全に親の世代と意外につながっている。むしろ団塊世代の子供と、団塊世代の方が断絶は大きいのだ。
何故なら団塊世代の子供時代は戦前戦中とあまり変わりがないからだ。彼らの子供時代は戦前同様着物が主だったのだ。中学高校大学時代にどんどん現在の生活スタイルが確立していった。しかし、団塊世代の子供は最初からブロイラーのような管理された環境下に置かれていた。小中学校にファミコンばっかりやって、大人になっても漫画やアニメやゲームから切れない。完全に親の世代と断絶している。
名前の付け方自体が団塊世代の親と、団塊世代は似ている。団塊世代の親は自分は戦前生まれで「太郎」ならぬ「一太郎」とか「イネ」と言った古臭い名前を付けられているが、戦後の最初の方に生まれた子供には「○男」とか「○子」と言った普通の名前を付けている。団塊世代もそうだ。ところが、漫画・アニメ・ファミコンで頭がいっぱいの団塊ジュニアは子供にも「翼」とか「翔」と言った奇抜な名前を付ける事を好む傾向が強いのではないか。
奇人変人の類はむしろ、団塊の世代の思想に与えた影響が非常に大きい戦前生まれや、団塊ジュニアよりも更に下の世代の方に多いように思う。団塊の世代自体は戦前生まれに踊らされただけで、団塊よりも上の戦前生まれの黒幕が達者なのに、自分自身はバブル崩壊後16年で老け込んでしまったように見えた。
団塊の世代のイメージなるものは、完全に大企業が支配するマスコミに演出されたものであると思う。実際の団塊の世代の全体とはかなりずれいる。もちろん、全共闘白書を絵に描いたような典型的な団塊世代の人も中にはいるのだろうが。
そして、日本社会の精神のある部分は戦前から連続しているのだろう。全共闘のような上の世代に徒党を組んで反抗する運動は、その前の藩校の時代からずっとあったと思うが、むしろその後が続いてないのだ。あれは幕末以来最後の反抗だったのではないか。その下の世代はもうあまり政治的な徒党を組む形でストレートには反抗していない。