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フリーメイソン(メースン)が「尊ぶ」数について、
聊か(…その多くが真実との齟齬と
いう意味で)混乱を生じているようであるが‥‥
十年一日変じる事なく、ともすればメイソン研究が
徒労に帰しかねない現状は見るに忍びない。
例えば某緑果板ではメイソンに関する記述に
ついて“毀誉褒貶”というのも姦しい位だと思えるのだが、他方で、
アシュラが自由の園かといえば、そうした計算方法なり、コードの
内実を此の地で詳らかにするのは尚の事、とくに差し控えたいと思う。
とはいえメイソンという組織自体が●●●○●●9という数を携えている 699 999
「現実」は、何より見逃しえない本当の(万人に教える
ところの原理的な)“基本”なのではないかと思えてくるのである。
こうしてみるとここで「某緑果板での研究の正統性」というものを
それは内側から裏付けているとも言えそうなのであるが(…因みに
外側とは、即ち執拗きわまりない「妨害行為」ということでもいいだろう)。
何れにせよ、たった6文字の数字、ここに込められた多義的にして多形的な
意味合いは恐らくコード研究家には汲めども尽きぬ
“恩恵”をもたらしてくれることだろう。
糅てて加うるに、というには恩寵も「たわわ」なことで、
ロゴも又ヒントに実に満ち溢れていると思われるわけではあるが、
このロゴに含まれている「諸元」が、世の日常の隠れ信徒たる末端の隅々とを
強力に結びつけるが如きの図式を想うと共に、このロゴと末端との関係から
推す限りで、先の数字と末端との関係の密なるも明らかかと思えるのである。
ロゴでは道具が体の部位であり、体の部位は道具であるということも判然としただろう。
しかしそれ以上に、その部位は変幻自在なそれなのであり、人間の部位を遥かに凌いで、
数えるのも億劫に思える程、部位が群がり結集しているという風にもこそ、看て
取れることであろう。それは早くから知られていたのだろうが、
改めて本家本元で確認できる次第自体が確認できたとなると、
これはまさに慶事とも呼べる「格」のものなのであろう。