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政治を変えて、今より少しでもマシな社会にするにはどうしたら良いのだろうか?
少なくとも「発覚しなければ、悪い事をしても許される」という考え方の人が繁殖している社会では「良い社会」にはならないだろう。
例えば
http://senkyo-navi.net/3/39/000617.html
に以下のような事が書いてある。
【政治家は、選挙区内の人に年賀状や暑中見舞状などの時候のあいさつ状を出すことは禁止されています。
ただし、答礼のための自筆によるものは禁止されていません。
【 あいさつ状の禁止 】
候補者又は公職の候補者となろうとする者(公職にある者を含む)は、当該選挙区(選挙区がないときは選挙の行われる区域)内にある者に対し、答礼のための自筆によるものを除き、年賀状、寒中見舞状、暑中見舞状その他これらに類するあいさつ状(電報その他これに類するものを含む)を出してはならない。
公職選挙法 第147条の2】
これは、個人的に親交のある知り合いに出す手紙(通信)は別にして、「特に親交のない人に対して、とって付けたような電報類(披露が前提になる広告的な意味合いの強いもの)を送ってはいけない」という意味合いだろうと解釈できる。
まあ、簡単に言えば「知り合いでもない人の葬式で披露される弔電などは選挙の広告手段なので駄目」と云う意味合いと考えられる。
しかし、葬式などで決まって披露される定番議員もいる。
彼らの理屈は「電報は駄目だがレタックス(郵便局のファックス郵便)は禁止されていない」と云うことらしい。
また、郵便局側でも「虚礼廃止、金の掛からない選挙、理念を守らせるよう国民に働きかけるべき公務員」であるにもかかわらず、「喜んで、レタックスを引き受けている」という部分もあるらしい。
つまり、公職選挙法で「なぜ規制がされたのか?」という理念を全く無視をして、私利私欲に走る輩が存在し、自分勝手な屁理屈によって「条文に書いていない事は許される」として、平気で法の網の目を潜るような行為をしているのが事実と云うことである。
Kは「文章では全ての事例を書き表すのは困難であり、理念を守ろうという良心が大切であり、罰するのは条文に抵触するからと云う理由ではなく、悪意の有無を判断すべきだ」と過去にも何度か書いてきている。
少なくとも、葬式に行って「親戚でも何でもないような議員」の弔電が披露されたら「その議員だけには投票しない」と一人一人の人が考えるようにしなければ「世の中は良くはならないのである」
法の理念を守ると云う気持ちのない人に「法の作成者である立法府を任せておいて良い社会になるわけはない」のは、当たり前すぎて書くまでもない事なのだが、その当たり前の事を書かなければ分からないと云う人が多いと云う気がする。
小泉前総理は「中央省庁改革法」に明確に違反した「郵政民営化」を強行した。
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C01040.HTML
その際の手法は「憲法で保障される、個人の良心の侵害であり、自由意志の投票権の侵害」と言えるだろう。
つまり、現自民党議員は全て「法の理念を尊重したりはしない無法者」の流れを引き継いでいる者達なのである。
そんな人達に「国会」の与党を任せておいて、良い社会など絶対に訪れるはずはないのである。
これ、猿でも分かるのではないでしょうか?