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(回答先: 米権力の活動を容認する諸団体・諸組織が、結局, 地球人類を崩壊させてしまう【戦争板】 投稿者 秋吉悠加 日時 2007 年 6 月 24 日 08:44:02)
「民主になっても同じ」じゃなくて、今は与党に批判を集中させるべきです。それで民主が与党になって今の自公のような横暴をすれば、「確かな野党」はまた闘わねばならない。しかし、いつでもどこでも極左的にあれもこれも同時に闘うのが良いのではない。先の都知事選で反石原統一戦線を組めなかったのは最悪だ。都民がテロ容認・自殺幇助発言を容認した結果となる事で戦後民主主義の超えてはならない一線が超えられたのだ。それは従来のブルジョア政治の延長ではない。
国政・都政においてこれ以上与党の横暴を許してはならないのだ。日本国民が日本の全てが殴る側・いじめる側に加担しているという自覚がないのが最大の問題だ。殴る側いじめる側を反省させず、その増長を益々許して殴る側に「自分は正しいのだ」と錯覚させて、擦り寄る日本国民とは一体何なのかが鋭く問われている。一体、1999年以来どれだけの法案が与党による多数決で強行採決された事か?そんな中で自民党内のハト派だ良識派など、間違っている。本当に良心があれば安部・石原支持の与党を支えるのはおかしいではないか。
日本の国民は米英の国民と比べても殴られる側への共感が少し低すぎやしないか?アメリカやイギリスの国民と比べてもである。
石原発言を許す日本国民が、70年代と同じ日本民族には思えない。反戦意識はどうしたのだ?何故、自分より遥かに年下の中学生が自殺しても無為に過ごせるのだ?一体、60年代の時の日本人はどこへ行ったのだ。あの時の日本人だったら、もっと石原発言にも厳しい批判があったはずだ。鈍くなっている。日本人の感性がアメリカ人やイギリス人と比べても、すっごく鈍くなっている。この鈍さはちょっと信じられないものだ。何人死んでも他人事のような感覚が出てきたのだ。30年前どころか20年前ですら、日本はこうではなかった。こんな退廃的な反動が許される訳がない。
安保世代や全共闘世代は安部・石原の下で一体何をしているのか?これで、このままで終わりか?同じ日本でも、この国はもう完全あの国ではないのだ。日本人は他人の不幸を踏んで「僕は全然痛くないね!」と気付かないふりをするとんでもない国民になってしまった。
民主党に問題があっても、まず確かな与党として安部・石原に対してNOを突きつける事、それが大事だろう。はっきりと怒りを表明せず、曖昧な態度を取るから益々殴る側が「私は正しい。私は英雄」として付け上がってくるのではないか。確かな野党ならまず、それを諌めるべきだ。現在のバカ殿を諌めず、「共産党以外は誰がなっても一緒」等と言う傍観者的態度に終始するなら、この暴政は止まらない。共産党は将来の二大政党制(というか、もうすでになっているだろう?)を心配するより、今、この流れを止めるべきだ。