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2007-06-13
元「慰安婦」の証言を検証する前に考えるべきこと
否定派は、証言内容の大筋を無視して些細な違いだけを問題視し、全体を否定しようとしています。例えば小林よしのり氏は金学順さんの訴状と他の証言を比較し「ぜんぶちがうぞぜんぶ!!確実にどれかはウソじゃないか!!」と言います(『新ゴーマニズム宣言』第3巻、特別編)。
こういった否定派の主張に反論するために、当ブログでは今後、元「慰安婦」の証言を順に検証していく予定です。
今回はその前に、同じ人が証言した内容に、些細な違いが生まれることは通常よくあることだということを証明しようと思います。
以下は、横田めぐみさんの母・早紀江さんの証言です。
「めぐみちゃんがいなくなったのは、13歳の誕生日を迎えてたった1か月後のことでした。めぐみちゃんと一緒にお祝いした最後の誕生日は、1番仲良くしていた友だち2人を呼んで3人で楽しくパーティーをしました。それから、11月という波が荒い時期、14歳という幼さで、しかもたった1人、めぐみちゃんが泣いていたと思うと胸が張り裂けそうになりました……」と、母・早紀江さんは声を詰まらせた。
http://cinematoday.jp/page/N0009488(魚拓)
めぐみさんが拉致された年齢を「13歳」と言ったすぐ後に、「14歳」と言っています。
また映画のインタビューシーンで、曽我ひとみさんから届いた手紙には、「1979年」北朝鮮でめぐみさんの誕生日を祝った思い出が綴られてあったと証言しています。
曽我さんがめぐみの去年の誕生日の前の日に速達をくださったんです。曽我さんとめぐみちゃんが一緒の招待所にいた時に、一度だけめぐみちゃんとお誕生日を一緒に過ごした時のことを書きますという見出しで「たしか79年私が向こうに行った次の年の10月5日は二人でめぐみちゃんの誕生日をすごしました」という書き出しで色々と楽しかったドライブに連れて行ってもらったとか、色んなごちそうをたくさんのごちそうを作って、ケーキも焼いてきてくださって、そしてすごく喜んだんだっていうようなことが、書いてありましたね。
ところがスポーツ報知の記事では
曽我さんは2年近く、77年に新潟市で拉致された横田めぐみさん=失跡当時(13)=と平壌市内の同じ招待所で生活し、1978年10月にはめぐみさんの14歳の誕生日を一緒に祝ったことを、めぐみさんの両親の横田滋さん(73)と早紀江さん(70)に証言している。
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20061103-OHT1T00159.htm(魚拓)
曽我ひとみさんが北朝鮮でめぐみさんの誕生日を祝ったのは「1998年」と証言したことになっています。
しかしこのような些細な食い違いを理由に「早紀江さんが嘘をついてる」という人はいないはずです。なぜならたとえ証言によって細かな違いがあったとしても、大筋の部分で矛盾しなければ不自然ではないからです。
したがって元「慰安婦」の中に証言内容の部分的で些細な違いだけを問題視するのは、単なる難癖に過ぎないということをあらわしています。同じような些細な記憶違いや言い間違いを元「慰安婦」の証言に限って嘘つき呼ばわりするのは、偏見以外の何物でもありません。その判断基準は、小林氏をはじめとする判断する側がどの結論に導きたいのかという思惑を反映しているに過ぎないのです。他国の責任を追及できる自国の被害者の記憶違いは許容できても、自国の責任を追及してくる他国の被害者の記憶違いは許容できない。それこそが彼らの本音なのです。
blog*色即是空
http://d.hatena.ne.jp/yamaki622/20070613