★阿修羅♪ > 雑談専用23 > 680.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
物事が2極化している。
多分だが、デジタル思考の二元論が徐々に人々を蝕んでいるのだろうが、Aが違うならBと云う回答しかないという結論に達してしまうのだろう。
過労自殺が増加している。
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2007051600803
この状況の中で「公務員を中心にもっと働け!」という意見が自民党の幹部から平然と発せられる。
調べてみれば「教員の超過勤務時間は多い」のに「教員がサボっているから、教育が悪くなる的な議論がされ」「教員の免許更新制度」が話題になったりする。
全ては、実態調査のない「ある一面からのみの考察で全体が評価され、是正しろ」という議論がされる。
二者択一、賛成か反対か、敵か見方か・・・
そのような単純化がされていく
最近、著作権というものが必要以上に保護されてきたと思う。
本来、アイデアと言うものは「相互作用」によって生まれ、生まれたアイデアも「様々な人が関わりあっていく中で進化発展する」という部分が大きいものだ。
マイクロソフトの「基本ソフトを貸す」という戦略は、マイクロソフトを巨大な利権企業にした。
その頃からか、著作権というものが「個人の所有物」として「権利」に変わってきた。
Kは著作権は「2年程度」の保護で、後は、人類の文化のために権利開放をすべきだろうと思っている。
例えば、アニメ作品
爆発的に売れるのは「発行後数ヶ月」だろう。
その後は、ボチボチだろう。
作品の中の一つのフレーズを盗用したとかの話もあるが、そんな事に目くじら立てて良いことなんてないだろうと思う。
それよりは、ブームが通り過ぎた作品を思い出してくれる人がいる利点。
終わった作品が違った形で生き続ける事の意味。
そういった部分に喜びもあるのだろうと思う。
文化と云うのは継続性と相互性の中で進化し発展し、その事が人類の英知の中に昇華されていくのではないだろうか?
俺が考え付いたのだから、俺の権利だ。
その考えは間違いとは言い切れない。
しかし、それを考え付いたのは「自分の周りの環境の中」でだろう。
そこを、二元論、損得勘定だけから考え、権利と言うものの主張という選択になった時、人類の共有財産になるべき「一つの考え方・アイデアが幽閉されてしまう。」
そのあたりの事をもう少し考えた方が、人類の発展に繋がるだろう。
もちろん、現行の人気作品とか、長期継続作品というような場合は、放送終了後まで、著作権保護のカウントダウン開始は延長しても良いかもしれないが、一律的に長期間保護というもの思考停止だろう。
臨機応変、ケースバイケースであるが、原則として著作権保護は「2年程度」とし、後は開放で良いのではないだろうか?