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う〜ん、Kが政治の話に、興味を持ったのは、30年以上前に山上たつひこ氏の「光る風」を読み「三光作戦」を知った事が非常に大きな位置を占めていたりするのだが、なんとKはえらい勘違いをしていたようで、三光作戦とは「南京大虐殺」とは全く関係ない作戦らしい。
Kは南京大虐殺の前後の期間に行われた皇軍の進軍行為の中で行われた「村などの破壊行為」が三光作戦と言われていると思っていたのだが、どうも、三光作戦は「南京大虐殺より後のゲリラの殲滅作戦」であるようである。
日中戦争から大東亜戦争のあたりの時代は非常に複雑怪奇である。
で、Kは「三光作戦」というのは中国軍の「焦土作戦」との兼ね合いで誇張された残虐行為であり、現実的に外国人の従軍記者は「南京に至までの皇軍には規律が保たれていたが、南京陥落後は「人が変わった」的な証言をしているから、三光作戦はなかったと考えていた訳だが、どうも、南京攻略後の皇軍には「ある種の糸がきれた精神状況」になっていった気がする。
ゲリラの掃討作戦には「敵性と判断できる者は抹殺する」というものがあり、この中で「主観による敵性の決めつけ=反抗を受ける恐怖心の裏返し」は「自分の行った非人道的行為の後悔と良心の呵責」になっていったのだろう。
罪の上に罪が上塗りされる無限地獄の中で「精神は人間性を維持できなくなっていった」のだろうと推理される。
無実の村人の目が「自分の罪を見抜いているように見え」それによって「敵性があるとの名目の下に殺してしまう」という「自分の良心の憑きもの憑き」である。
「殺し尽くすな、焼き尽くすな、奪い尽くすな」というような命令が出されたという記録が残っている事が、そのような行為に歯止めがかからない状況であった事を裏付けているので、三光作戦はあったと考えるしかないだろう。
ただし、三光は中国側の表現である。
それにしても、Kの原点とも言える三光について、今頃修正が必要になるとは思わなかった。歴史は難しく、奥が深いのである。