★阿修羅♪ > 雑談専用23 > 355.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
あっという間に都知事選は終わった。
ほぼ、Kの予想通りの結果であった。
一時的に「盛り上がりかけた、浅野氏ブーム」に対し、共産党が「浅野氏も石原氏と同じ」と水を掛けた時点で「選挙は事実上終わった」
「水を掛けられて冷静になった都民は、石原氏と浅野氏と同じなら、石原氏で良いや」と「体制迎合」に流れた。
そう言った意味で、共産党は「反石原票を割った」と「浅野氏に流れかけた石原票を石原氏に戻した」という2重の意味で「石原都政の継続に貢献した」のだろう。
結果的には「石原票は過半数超え」が予測される。吉田氏の票と浅野氏の票を足しても「石原票には及ばない」という結果のみでは「吉田氏が降りても駄目だった」という様に見えるが、共産陣営の批判が「浅野氏に集中しなければ結果は変わった可能性」もあり、結果のみからでは「経過のミス」を見落とす可能性がある。
仮に、共産党の批判が「石原氏に集中していたなら、石原氏の票は過半数割れしていた」と言う可能性もあったろう。
まあ、負け犬の遠吠えではある。終わった過去は「変えられない」
変えられるのは「未来」だけ、である。
しかし、最近になってやたらと「過去の歴史が変えられる」
鎌倉幕府が出来たのは1192年ではなかった。とかから始まって、実は「こちらが正解」というような「安易に見える状況」で歴史が変わっていく
今までの歴史だって、それなりの根拠があって決定され、教科書で教えるくらいだったのに、新たな研究による「発見」が、今までの根拠に比べ優れていると本当に断言できるのか?は非常に疑問である。
「西郷隆盛の人相は、西郷隆盛の親戚の顔を合成して作った物だった」
「ナポレオンが右手を懐に入れているのは胃痛持ちだったからだ」
確かに話題性はあり、問題などにすれば意外性もある。だけど、確実な根拠はあるのか?とも思う。
「実は・・・」という真相究明的なうんちく話は「すり込まれやすい」
最近の右翼系の人の書く本などでは「従軍慰安婦問題」は無かったと既成事実のように書いてある。
また、竹島は「日本の領土」と決めつけられて論じられている事も多い。
「南京大虐殺は嘘だった」とか「三光作戦なかった」と結論されたというような前提の上で論が進められている事も多い。
前にも書いたが
【どうも、竹島問題は謝るしかありませんね〜 考察者K】
http://www.asyura2.com/0502/social1/msg/145.html
ここで書いているように「日本が1869年(明治2年)に竹島を放棄した」というのなら、日本には「韓国の言い分がどうのこうの」言う資格すらない。
少なくとも『朝鮮国 交際始末 内探書』が捏造か、内容の解釈が間違いである事を立証しなければ先に進んではいけないのだろう。
南京大虐殺だって「30万人規模ではなかった」=「全く、虐殺行為はなかった」ではない。少なくとも「幕府山事件」では1万人規模の捕虜の虐殺は行われているし、相当数の虐殺行為はあったと見るべきであろう。
「証拠写真が嘘だった」=「事件はなかった」ではないし、「証拠写真は嘘だった」という論自体にも反論は多々あり、決定した訳でもないのである。
「従軍慰安婦」も「被害の誇張はあった」のかもしれないが、火のないところに煙は立たないではないが、数年前までは「あったという事が既成事実として認識されていた」のには「それなりの根拠があった」からだろう。
時代の経過による証拠の風化の後になって「証拠不完全による完全無罪」を叫ぶ事が「恥」であり、自虐的歴史観ではなく、本当の歴史を認識する事が必要であり、証拠が消え去った事を利用して「歴史を改竄する」のは「危険思想」であり「悪」であろう。
天皇は天津民族だと言われている。基本的には日本列島には土着の国津民族がいたのだが、大陸から渡ってきた民族に征服されていったという訳だ、手塚治虫氏の「火の鳥」ではないが、人種的には「琉球民族」と「アイヌ民族」は先住民族の血が色濃く残っているらしい。この辺は科学的にも分かっている事だ、天皇は元々は「征服者」だったのだろう。
しかし、この歴史修正がまかり通ると「両面宿儺」とか「サンカ」とかの「日本の先住民族の抵抗の歴史」は抹殺されていくのだろう。
戦時中は「東北地方の人たちが優先的に徴兵された」というような話もあるが、それも風化していくのだろう。
アイヌの人々の歴史も消し去ろうという事になるのだろう。
非常に危険である。