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思考と云うのは成長するのだろうと思う。
どこまで行っても「決して、頂には達しない」
ある日「誰かの言葉に出会った」とか「閃きという天の声を聞いた」とか
人によって「切っ掛けは様々」であろうが、確信的な価値観が生まれる事がある。
その時にこそ「人の真価が問われる」のだろう。
そこを「頂点」として「その先を考えない人」と「更なる先を求めようとする人」
そこが分かれ道なのだろう。
共産党の主張は間違っているとは言い切れない。
しかし、見方によっては「体制の応援団」とも言える。
物事には全てにおいて「多数の表面がある」
見る角度によって、円であったり、四角であったり
黒であったり、白であったり
ある面から見た「事実」だけで「確定」としてしまうのが「憑き物」になり得る。
その物事には「様々な面」が存在し、別の顔も併せ持っている。
「ある面からだけの判断によって、自分の価値観が形成される」
「人は誰も主観には縛られやすい。」
「人は自分の見たいものを真実と考える」からである。
その時に「進化が止まる」「成長が途絶える」
時代は立ち止まらずに流れて行く
どのような思考も「立ち止まった瞬間から、時代に取り残されていく」
これは一つの真理であり、これから先に無数に出現するであろう真理群の中の欠片にすぎない。