★阿修羅♪ > 雑談専用23 > 103.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
憲法問題と言うのは「必須科目」であり「最重要項目」である。
日本国民なら「国民の義務」として「真剣に憲法問題を考えるべき」であろう。
「決め付けるなよ、それはKの価値観だろう。」と普段のKならば真っ先にそのように反発しそうであるが、事が憲法である場合には「違う」のである。
「何故?何処が違うの?」
憲法次第では「権力が決め付けた価値観が強制されるようになる」からである。
Kは社会秩序を重要視する方である。「個人の自由の無制限な拡大には一定の規制をしても社会秩序を守った方が良い。」とも考えている。
しかし、ここは「法で規制するのではなく、国民の自主規制によってコントロールする方が望ましい」だろうと考えてもいる。
現憲法がある限りは「国民の権利は最終的には守られる」はずであるから、そのように考えている訳である。
だから「君が代不起立」でも「理念には反対しないが手法には反対」と主張し続けている。「勤務(拘束)時間内の権利・思想の主張活動」をする事が、「反社会活動」と見られる可能性があり、「法的に規制し、是正すべき」という考え方は必ずあるから、そこを考えろと繰り返してきた。
「今の若者は堕落している。徴兵によって精神を鍛えなおした方が良い」という意見が一部にある。確かにニート・フリーターは多いと言える。
この意見を収める方法は2種類に大別されるだろう。
一つは「法を設定して、強制的に是正する。」
もう一つは「国民サイドで工夫をして、法なんか作らなくても、我々は巧くやっていけます。」と示して見せる自浄能力の向上である。
これは、バランス感覚と云うことである。
責任感、使命感、社会貢献、というような意識を「捨て去ってはいけない」のだろうと思う。私たちは「日本国民」であるのだから、日本の社会全体の利益(国益とは少し意味が違う)と云うものを「常に頭の片隅にでも置いておく」べきだろうと思う。
それを「完全に忘れ去った」とすれば、日本社会から排除されても仕方がない。
実際には排除は出来ないので「強制的な再教育」が行われると云う事になる。
そこのブレーキとなっているのが「現憲法」である。
当然ながら「改憲」というのは、このブレーキを弱めたいから「政府が画策している」のである。
ここで参考のために「うだうだぶつぶつ」さんを読んでいただきたい
http://blogs.dion.ne.jp/verdure/archives/613803.html
憲法9条だけでなく「自由」というものに対して「規制をしてくる」と云う事が狙われているのである。
本来、憲法と云うのは「国家権力の暴走を抑えるための法律」であって、変えるのなら「国民の声が主体的になって変える」のであり、「政府・国家権力が主体的に変えるのは間違っている」のである。
一応
「憲法を変えるべき」という立場からの意見も紹介しておきたい。
石原東京都知事のご子息「石原ひろたか氏」は果敢にも「改正賛成のためのページ」を作成している。
http://www.ishihara-hirotaka.com/policy_4.html
貴方には「自主憲法」でなく「経年疲労」があるので「戦争のできる普通の国」として憲法を改正したい。以上の理由が読み取れるだろうか?
どうも「しっくりこない」から「憲法を改正」したい?
こんな適当なイメージで「改悪」されてはかなわないだろうと思う。