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日本には「自由な発言」が許されない部分が多々ある。
「いやと言えない」か「嫌と言えない」のどちらの検索でも数多くの実例が分かるだろうが、ともかく、対立構造が嫌いな部分があるのだろうと思う。
その「言いたい事が発言できない文化」の延長上には「休みを下さい」とか「上層部の批判」と言った部分もあるだろう。
官僚主導が悪いと云う事は結構耳にする。
しかし、多くのサラリーマンは「直接上司に意見をする」のを避けるだろうと思う。
「ゴマすり」までする人は多くはないだろうとも思うが、上司に対して反対意見を云う人は「ゴマすり」をする人よりも少ないだろうとも思う。
本来は、問題点があると思うのなら、それを上司に伝えるのは正当な行為であろう。
大昔の時代には直訴という制度があった。直訴は死罪覚悟の行為であり、自己の犠牲と引き換えに「仲間の未来を作ろう」として行われたのだろう。
それらの歴史の記憶があるのか、日本人は遺伝子レベルで「奴隷体質」なのかは分からないが、日本人は「言いたい事を言わない人種」のような気がする。
「俺は言っているぜ」と云う人はかなりの確率で左派革新に属する人だろう。そのような人は「体制という敵」には文句を言う事ができる。出来ると言うより、それが「生き甲斐・趣味」となっているのかもしれない。しかし、その反面で、所属組織や仲間に対して、特に上役には「全く文句を言わない」という人が多いと云う気がする。
極端に言えば「仕事等として、使命感を感じれば」意見も言えるのだろうが、自分の不満を言う「愚痴タイプ」の意見は多くの人が言えないのだろうと思う。
もちろん、例外はいる。
しかし、その大部分は「自己中心的なワガママな性格」の人が勝手な事を言っているだけ、という比率が高く、僅かながらに存在する正当な自己主張との判別はかなり困難になってしまう。実は、ここは、権力サイドの巧妙な狡賢さなのかもしれないが「本当に、見分けが付かないのか?ワザと混同してしまうのか?」は不明確な部分もあるが、ワガママと自己主張の切り分け・区別は難しいらしい。
その事は「逆の意味で、益々、正当な自己主張をできない」ようにさせている。
「ご自由におかわりして下さい」と書いてあるメニューであっても、ほとんどの人が2杯までだろう。
遠慮深いというのか、アホと云うのかは知らない。ちなみにKは「おかわりしない」事が多い。究極のアホである。
回転寿司で「回転してくるものを取る派」と「回転してくるものは無視して、注文する派」が存在する。Kは基本的に「回転してくるものを取る派」であるが、1品くらいは注文する。
ワリカン負けする人とワリカン負けしない人の差は、いかに「自分の好みの物を遠慮なく食べるか、飲むか」に掛かっているのだろうが、K自身は多分、今までにワリカンに勝った事はないだろうと思う。「敗北の人生」だったような気がする。
奥ゆかしい訳ではない。気弱なのだと言ったら笑われそうである。Kは赴任1ヶ月程度の職場でも10年選手のような顔をしている。これは「自分でもそう思うし、他人からも言われる」から、恐ろしく厚顔無恥な存在である。
しかし、色々な場面で「自己主張」が出来ないのである。
例えば「美味そうな肉が三切れあるとする」Kが食べなければ「三人が食べられる」と思ってしまう。そこが、Kの弱さであり、アホなところである。
最近では、そうでも無いが、昔は数人がお菓子などを食べていると「最後の一個が永遠と残っている」と云う事が多かった。それは「日本の文化」だったのだろうと思う。Kは未だに最後の一個に手を出す勇気は持てないが、ともかく、それは「日本の文化」だったのだろうと思うのであるが、巧く表現は出来ない。
ただし、その文化が言い事とは言えない。
むしろ、この文化が上意下達の官僚支配体質に繋がっているのだろうと思う。
過労死・過労自殺などの面、労働者の地位向上などの面から考えれば、あきらかにマイナスなのだろうとも思う。
上層部に自由に文句を言える文化を作り上げる必要がある。
文句を言うのに一定のルールを守る必要などないという文化を作る必要がある。
その事によって何ら不利益を被ることのない文化を作り上げる必要がある。
内部告発は「行うべき」という文化を作り上げる必要がある。
ただ、一点、その文句は「ワガママ」を厳密に排除する必要がある。
「ワガママ」が混入すると「他の正当な主張」も一緒くたに却下されてしまうだろう。