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思えば、日本がここまで悪化したのは「左派が賢くなかった」からなのだろう。
「二兎を追う者は一兎も得ず」ではないが、左派は「その歴史を繰り返してきた」のだろう。
一切の妥協を許さないと云う「姿勢」に憑かれてしまったのである。
「護憲運動」を例にすると「兎も角、最前線から一歩でも後退は考えずに、後退を考えない防衛ライン死守」と云う意味の「審議そのものの拒否」という作戦を「馬鹿の一つ覚え」のように主張し続けてきた。
これに「全てが象徴される」のだろうが、多分、多くの人が共産主義・社会主義というような社会体制の変更を望んでいないのに「共産党」「社会(民主)党」という党名を変えようと云う事はできないで今日まで来た。
無党派層の反乱と云う事が何度かあった。
本来なら、共産・社会党に取り込めるはずの「自民政治への不満の意思表示」であったのだろうが、そこが取り込めなかったのは、分析が必要だろう。
多分だが、日本人は「自分の生活を変えず、社会体制も変えないで、政治だけを変えたい」と思っている。
具体的に云えば「給与を上げてほしい」「生活必需品は安くしてほしい」「福祉は充実させてほしい」「医療費は安くしてほしい」「年金制度はしっかりしてほしい」「税金は安くしてほしい」が、自分の生活は「今のままであまり変化してほしくない」と云うことである。
左派は「社会を変えるには革命的な変化で、社会構造を変えるべき」と云うイメージを持っている。だから「革新」である。
しかし、民衆の要望は「生活改善」であり、基本的には「革新」ではなく「保守」なのである。ここが左派には分かっていない。
一般庶民は誰も「社会主義革命」も「共産主義革命」も望んでなんかいないのだ。
日本の政治は良かれ悪かれ「和の中で落し所」を模索するという手法になる。
ベストとは言えないがベターと思われる方向へ舵をとる。
その中で「ベストのみに拘って、何も得ない」どころか「孤立化して少数化する」という事を選択し続けた思考停止の党がある。
「二大政党制に問題がある」なんて事は分かっている。
人気(美人)投票であってはならないと云う事も分かっている。
しかし「多数派形成を、視野に入れようとしないで、孤立化、少数化してしまった歴史を反省しようとしない政党」が「何を主張しても無駄」である。
場合によっては「逆効果」ですらある。
理想を追うと云うことは「ある意味立派」である。
しかし、日頃から「周りと喧嘩を繰り返している者が、立派な事を言っても、誰も聞く耳は持たない」だろう。「聞いてもらえない意見には全く価値がない」のである。
左派は「頭は良い」のかもしれない
しかし「賢くはない」のだろう。
「問題の解答は直感で分かるのかもしれない」が「途中の計算式は書けない」のだろう。
前にも書いたが「プロセス」は「省略してしまう」のだろう。
二大政党制に問題があるとしても、いきなり「少数等が大躍進などできない」
できないから「二大政党制には問題がある」のである。
プロセス的には「先に二大政党制になってしまう選挙制度を変える」という手順が必要である。
そんな事も理解できないから、左派は衰退するのである。