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(回答先: Re: 管理会社(JASRAC)は不当な暴利を中間搾取する寄生者だ 投稿者 Sun Shine 日時 2007 年 2 月 19 日 07:58:03)
>要はごまかしはどこの世界でもあるということでしょうか。
と言ってしまったらそれきりです.結局「正直者はバカを見る」→「強いものが勝ち」という世界になってしまいます.
完全にクリーンな世界が実現不可能であることは自明です.聖書の黙示録を読んだことがおありでしょうか?黙示録ではこの世の終わりにキリストが再臨し「最終審判」を行うと予言しています.この最後の裁きで人類の大半の人間は有罪と宣告され血の海に沈みます.黙示録の最終場面では天から「新しいエルサレム」が降りてきます.それはガラスのような純金で造られおびただしい宝玉で装飾された光の都です.黙示録第22章には以下のように記されています.
わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下ってくるのを見た。また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。
すると、御座にいますかたが言われた、「見よ、わたしはすべてのものを新たにする」。また言われた、「書きしるせ。これらの言葉は、信ずべきであり、まことである」。
そして、わたしに仰せられた、「事はすでになった。わたしは、アルパでありオメガである。初めであり、終わりである。かわいている者には、いのちの水の泉から価なしに飲ませよう。勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐであろう。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。しかし、おくびょうな者、信じない者、忌むべき者、人殺し、姦淫を行う者、まじないをする者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである。これが第二の死である」。
最後の七つの災害が満ちている七つの鉢をもった七人の御使のひとりがきて、わたしに語って言った、「さあ、きなさい。小羊の妻なる花嫁を見せよう」。この御使は、わたしを御霊に感じたまま、大きな高い山に連れて行き、聖徒エルサレムが、神の栄光のうちに、神のみもとを出て天から下ってくるのを見せてくれた。その都の輝きは、高価な宝石のようであり、透明な壁玉のようであった。
[中略]
わたしは、この都の中には聖所を見なかった。全能者にして主なる神と小羊とが、その聖所なのである。都は、日や月がそれを照す必要がない。神の栄光が都を明るくし、小羊が都の明かりだからである。諸国民は都の光の中を歩き、地の王たちは、自分たちの栄光をそこに携えて来る。都の門は、終日、閉ざされることはない。そこには夜がないからである。人々は、諸国民の栄光とほまれとをそこに携えて来る。しかし、汚れた者や、忌むべきこと及び偽りを行う者は、その中に決してはいれない。はいれる者は、小羊のいのちの書に名をしるされている者だけである。
最後の一行に注目してください.『しかし、汚れた者や、忌むべきこと及び偽りを行う者は、その中に決してはいれない。はいれる者は、小羊のいのちの書に名をしるされている者だけである。』このテキストを逆に読むと次のように解釈することができます.『しかし、新エルサレムの外にはなお、小羊のいのちの書に名をしるされていない者たちが残る.これら汚れた者、忌むべきこと及び偽りを行う者はその中に決してはいれない。』つまり,イエスが再臨し古い体制が一掃されて「新しい天と地」が確立された後になっても,完全にクリーンな世界は「新エルサレムの中にしかない」のです.
目標とすべき「来るべき世界」が「完全にクリーンな世界」のようなものでないことはこれからも明らかではないでしょうか?この世には不正があります.いつの日かそのような不正が裁かれることを我々は望みます.しかし,それを「神の手」にゆだねるとしたら我々の「望み」は単なる「ルサンチマン」でしかありません.我々が目標とすべき世界は「クリーンな世界」ではなくて「クリアな世界」でなくてはなりません.「不正が許されるような世界」,つまり「不正が制度化し大多数の人間が少数の力を持った偽りを行う者によって支配されるような世界」には必ず「(情報論的な)暗部=闇」があります.それらの闇つまり構造的なブラックボックスを一つづつ開いてゆくことが必要なのではないかと思います.