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まあ、どうでも良いが、本当に「奇麗事」だけが求められる社会になってきた。
醜い事、見たくない物から目を逸らしているだけの「無菌室」のような社会。
先日、ある女性評論家が「旅館街再生の方策」として「女性向けのサービスの充実」というアイデアを出した。
その理由に驚いた「妻が主張すれば、今の夫は逆らわないで付いて来るから」である。
男尊女卑が良いとは言わないが「女尊男卑」も良いとは言えないだろう。
女性に奥ゆかしさを望むのは「既に過去の話」だが「これでは、男性が女性を恐れて未婚者が増えるだろうな」とは思った。
「自己規制」というブレーキ制御が巧く働かないので、男性と女性の「パワーバランス」が崩れ始めてきたと云う部分もあるのだろう。
いずれにしても「嫌いな男性から食事に誘われたらセクハラ」というような行き過ぎた権利主義の社会が「良い社会」とは思えない。
我慢という物が出来る人が減少しているのだろう。
本当の意味での「大人」が減っていると云うことである。
「子供」のままの大人が増えていると言った方が適切か?
その内、親と子供がテレビのチャンネル争いの上での殺人事件なども起こりそうである。
何が悪かったのか?
どこに根本的な問題があったのか?
表面的な奇麗事しか見ようとしない人が「奇麗事を言いながら」「人の住めない無菌室社会を作っていく」
「人間が生き物である事を考慮していない」と言うか「自分だけが唯一の生物」と思い、周りの人は「自分の意に従うロボットのような存在であるべし」と思っているのだろう。
価値観が腐っている、まあ、どうでも良い事だ、Kには関係ない