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「考察者K」についての考察(3)
「考察者K」が帰ってきた。昔の名前で・・・
例によって掲示板に書き散らかしている。そして、早速、失笑をかっている。
問題を提起することを非難しているのではない。
反論した人たちに、まともに答えることなく尻切れトンボのまま議論を投げ捨てていることが問題なのだ。
結論を出せと言っている訳でもない。反論に対して異論があるのなら、さらに反論すればよい。
しかし、「考察者K 」には、反論のどの部分に、なぜ、どうして同意できないのか、相違点を整理しさらに議論を深めると言う学ぶ姿勢がみられないのだ。「考察者K」が、反論のかわりにするのは、あれやこれやの現象を並べて、間口を広げることだ。
「考察者K」が「阿修羅」を去ったと見せかけ、「香刹沙恵 」と「H・N」を変え「社会板」登場した。
「投稿」するやいなや、「考察者K」=「香刹沙恵 」であることがばれると、反論にまともに答えることなくH・N「香刹沙恵 」を投げ捨てたまま逃亡した。
「阿修羅」にH・Nを複数作ることを悪いというつもりはない。しかし、なぜ複数のH・Nが必要だったのか説明する責任はあると思う。さらに、それぞれの名前で「提起した問題」に責任を持てということだ。
「投稿者K ]は、私の投稿(たぶん)を、個人攻撃だというが、私の投稿のどこが個人攻撃なのか答えるべきだ。私に答えることが出来ないのなら、「管理人」さんに、削除を申請すれば良いではないか。
「考察者K」の言いたいことを私なりに纏めてみた。
「日の君」問題について。
Kは、個人の思想信条良心の自由を「権力」で侵害することは良くないと思っている。
教師が管理者の押し付けに抵抗するのもわかる。
しかし、「不起立」の抵抗は、多くの人たちに理解されないうえに、処分という犠牲も生まれる。
処分は、「家族」にも犠牲を背負わせることになる。
「卒業式」「入学式」という厳粛であるべき行事の「規律」を乱す行為でもある。
だから、「不起立」という、「理解」されない「犠牲」を伴う「規律を乱す」ような「抵抗」は止めて、別の方法を考えるべきだ。
「憲法改正」について
Kは、「憲法」を改正する必要はないと思っている。
しかし、「経年劣化」などで時代に合わなくなってきていることも考えられるので、「議論」することは悪くはないと思っている。
「憲法改正論者」も、戦争したいから「憲法9条」を改正したいというなら、はっきり言うべきだ。
簡単に纏めれば、上記のようにいっているのだと思う。
「考察者K」の主張に反論している人たちは、当然解っていることとは思うが、当の本人が自分の言っていることの矛盾に気がついていない。
どこにでもそういう人はいるものだが、性格は「正直」「真面目」で「真剣」に「世を憂い」ている。だからこそ手に負えない。
「憑き物憑き」には、他の人が「憑き物憑き」に見えるらしい。「考察者K」には、「馬」が憑いていて批判者のこえは「東風」にしか感じないのだろう。さらに、「正直」にも何か付いているかもしれない。
「考察者K」の、欠点は「批判的に摂取する」という作業が抜けている点だろう。
「事実は必ずしも真ならず」ということを理解していない。
「考察者K」のソースは、たぶんテレビや新聞などマスコミが主なものだと思う。
確かにマスコミは「事実」を伝える。しかし、その事実の一部を隠したりデフォルメすれば真実ではなくなる。
「阿修羅」はいう
情報解析
・その情報が 誰によって 流されているか?
・その情報が なぜ今 流されているか?
事象解析
・その事象で だれが利益を得るか ?
・ 歴史上、その事象の時何があったか?
だから、すべての情報は否定してみる必要がある。否定に打ち勝ったものだけを取り入れる。その作業によって、自分の「考え方」の血となり肉となっていくのだと思う。
「考察者K」の主張には、雑多な立場の雑多な意見が詰め込まれ、自分自身の主張の中で矛盾が起きていることすら気が付いていない。
「議論」は勝負ではない。「議論」を通じて自らを高めていくものだと思う。そして、何よりも謙虚さが必要だろう
今、「考察者K]に必要なことは、
「考察者K」の好きな言い方でいえば、「左派」でも「右派」でもいいから「筋の通った考え方」の本をきちんと読むことだろう。
(その3)おわり