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創價學會が氣違ひ邪教集團で在り續ける限り、
聯中は藤原弘達氏の影に脅え續けるであらう。
日新報道出版部刊 昭和四十四年(西暦千九百六十九年)十一月十日發行
藤原弘達氏著「此の日本をどうする2 創價學會を斬る」
まゑがき
十月始めのある朝早く、まだべッドにゐた私は突然の電話に起こされた。
電話口にでてみると、政府與黨の最要職にある有名な政治家からの電話であつた。此れまで
私は、マスコミでは何度も會つて話してゐたが、其の政治家と電話でヂカに話した事は一度も
なかつた。何故、そんな電話をかけてきたのか、と云つてきいてみると、私が此處に出版しよ
うとする「『此の日本をどうする』第二卷・"創價學會を斬る"と云ふ本を出さないやうにし
て呉れ、と云ふ公明黨竹入委員長からの強い要請・依頼をうけての早朝電話である」と云ふこ
とであつた。要するに其の趣旨は、 「ひとつなんとか執筆を思ひとどまつてもらへないもの
であらうか」と云ふことである。
もう既に、其れまで、公明黨の都議會議員やまた多くの創價學會會員は、豫告廣告したに
すぎない『創價學會を斬る』と云ふ此の第二卷を出させまいとする壓力を、さまざまた形で
私や出版社にかけてきた。 「題名をかへろ」とか、 「出版時期が總選舉の前なのでまづい
から此れをずらせ」とか、また「出版に要する經費は當方で負擔する」とか、更には「みせ
かけだけの出版をして、殘りは當方が全部買ひとるから書店に竝べないやうにしてほしい」
とか、實にさまざまな勸誘や壓力がかかつてきてゐたのである。
此の本は、さう云ふ苦難の中から生まれてきたものである。まさに「難産の子」であると
云はなければならない。私が、敢へて"創價學會を斬ると云ふテーマのもとに、創價學會・
公明黨を出來るだけ國民大衆の皆さんにわかり易く批判し、其の間題點をゑがくにゐたつた
のは、創價學會や公明黨がカンぐるやうに、特定政治勢力に頼まれたり、反創價學會とでも
云へるやうな宗教勢力の依頼によつて、ペンをふるつたはけでは毛頭ない。
私が一個の言論人にして、また評論家として、政治學者として、日本の政黨政治、民主政
治の前途を考へた結果、なんらかの意味に於いて此の創價學會・公明黨と云ふ存在に對する
對決を囘避しては、日本の議會政治、民主政治は到底健全に育たないと云ふ強い確信を思つ
たからにほかならない。
私は既に創價學會・公明黨に就いて、いろいろな機會に、分析したり解明した論文を發表
し、テレビ、ラジオでも此れをとりあげ批判をしてきてゐる。批判する度に、多くの創價學
會會員から、中傷をまじへた反論を度々うけてゐるし、公明黨關係の出版物や聖教新聞は、
私を名指しで反論する事もまた度々あつた。其の意味に於て、私と創價學會・公明黨との間
は嚴しい相互批判關係にあつた事は紛れもない事實である。
私は、公明黨が此れまで非常な勢ひで伸びてきた事實を率直に認めるものであり、また
創價學會の中に、さう云ふ大衆を組織するにたるだけのエネルギーがある事も決して否定
するものではない。さう云ふ點は其れなりに私は評價し、日本の既成勢力の無能と怠慢を
嚴しく批判し、創價學會の進出によつて日本の政治がどうかされるまへに、日本の既成政
黨自體がもつ病理にメスをふるひ、政黨政治、議會政治への姿勢を正すことの必要を常に
訴へてきたものである。然し、殘念乍ら、さう云ふ批判の成果があまり現はれないうちに
、公明黨の政治進出による創價學會の政治的影響と云ふものは、目を追つて大きくなりつ
つあると云はなければならない。
此の段階に於て創價學會・公明黨のあり方を本當に嚴しく批判する言論と云ふものが、
學會や公明黨の壓力によつて國民大衆の前に現はれないとしたら、まさに「日本の民主政
治危うし」と云はなければならない。
言論・出版の自由のないところ民主主義はありえない。チェコの現状を憤るだけの人が
、なに故に創價學會・公明黨の行なふ此の言論に對する卑怯きわまる壓力に對し、嚴しい
戰ひを行なはないのか。私は、創價學會・公明黨と誼しみを通ずる事によつてしだいに筆
を曲げていつた多くの言論人や評論家の姿を知つてゐる。まことに此れを遺憾と思ふもの
の一人である。
また商業主義に墮落した日本の一部マスコミは、此の創價學會・公明黨の壓力とファナ
ティンズム(狂信主義)を恐れ、此れをタブーとし、クサイものにはフタをして出來るだけ
批判を避け、ふれないやうふれないやうとしてきた事實もまた紛れもないところと云はな
ければならない。かう云ふ傾向こそ、まさに創價學會・公明黨をつけあがらせ、目的のた
めには手段を選ばないマキアベリステイックな行動を當然視させ、不當な壓力を自由なる
言論にかける不遜な態度にださしめる背景であると云はなければならないのである。其の
意味に於て、いまや創價學會・公明黨は「民主圭義の敵である」 「自由な言諭の敵であ
る」と私は斷ぜざるをえない。
さう云ふ中で、いろいろな壓力に屈せず、誘惑にも負けず、私の問題意識を正しく理解
し、此の本の出版を此處まで進めて呉れた日新報道と云ふまこと小さな出版社の若い社長
綿秡幹夫君、編輯の皆川隆行君、遠藤留治君等々の努力と熱意と正義感を深く多とすると
ころである。また、私の十年餘の學友である明治大學富田信男教授も、此の本の出版に當
り、絶えざる友情をもつて協力して呉れた事を附記しておかう。
ともあれ、私は此の書を世におくる。如何に廣告宣傳機關が此の出版の廣告を斷はらう
と、新聞が此の廣告を戴せまいと、われわれは此の本を世におくるのである。盲干人目明
き千人と云ふが、 一億國民の中で創價學會七百萬世帶などはまさに吹けば飛ぶやうな存
在なのである。
不當に恐れてはいけない。
私の訴へ度いのは、まさに十人に九人の正しい理性的で白由なる判斷力をもつ國民大衆
の皆樣である。さう云ふ人々に、創價學會・公明黨を認識し、批判し、なほかつ批判だけ
では足らない戰ふ勇氣をもつことの必要性を、此の書を通じて強く訴へ度いと思ふもので
ある。
一九六九年十月
藤 原 弘 達
をはり