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「産む機械」と「産む生産性」についての私見
柳沢厚労「大臣」の発言、「女性は産む機械」は、「女性」を「(産む)機械」と比喩したもので、比喩そのものが人格を無視した許しがたいものだと思います。
菅氏発言、「子どもを産む生産性 」については、発言の全体の流れが判らないため、判断が難しいのですが、次のように思います。
「生産性」とは「生産手段、生産能力」に対しての結果を、サンプルの違い(手段、能力、位置、時期、etc)を対比し、多少・高低・あるいは数字で表すものだと思います。
子供の産まれる数を言い表す言葉として「出生率」というのもありますが、他の任意の「生産性」との比較や、因果関係を表す場合「出生率」より「生産性」のほうが適切だということも考えられます。
経済学でいう「労働力の再生産(費)」の「定義」は、「衣食住費・生殖費」を言い、「生殖費」には「子供を産み育て教育」する費用も含まれる。と、いうのだったとおもいます(不正確ですが)。
ここでも、「生産」という言葉は使われています。
菅氏がきちんとした理由で、「生産性」という言葉を使っているのであれば、当然失言ではないし謝罪や訂正は必要のないことだと思います。ただし、真意が伝わっていないのならば、説明することは必要だと思います。
自民・公明の菅氏批判は、ためにする批判としか言いようがありません。
「自分のことを棚にあげて」という言葉は、まさにこのようなことを言うのだと思います。
「俺も悪いことやったが、お前も半年前にやったじゃないか、おあいこで何もなかったことにしよう。」ということ?
「率先垂範」とは聞いたことがあるが、「率先垂悪」が自公の「常識」とはしらなかった。
この「常識」で「教育基本法」を「改正」し、さらに憲法を「改正」するつもりなのか。
菅氏の今後の言動を注視したい。