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(回答先: 全ての議論から最終的に一点に集約出来る焦点は存在しない 投稿者 日 日時 2007 年 2 月 06 日 00:59:09)
日さんこんにちは。
駄文ですが、私の議論へのスタンスをここへ書かせてください。
この時代に生きておりまして、どうしても納得できない事が多々存在しております。例えば、天皇陛下の問題。戦争責任や蓄えた財産、、、。
与えられた特権としては国事行為がありますし。
また、訴追や逮捕の免除特権もあります。
私は君が代や日の丸の問題が、なぜ問題であるのかの説明が今ひとつ届かない気がいたします。それは、戦争中アメリカ合衆国が行った、大空襲、原爆投下に対する非難よりも、ただ、白人と云う存在を敬愛する現在の日本人の矛盾的傾向との相関が感じられます。
もしかしたら、我々日本人は、“天皇という存在の代わりに無意識的に米国を選んだのだ”という事はあり得ないでしょうか?
もう一つ不明な事が、共産思想であり、右翼左翼という概念ですが、
私の知る所によると、戦後、共産思想に嵌まる若者はとても多かったのだとの認識です。それは、戦後の貧困の中で純粋に世の中を正そうと志した人々の思いが起因したのだだと思っております。そして、戦勝国である米国に反抗する意味合いもあったのかもしれません。その人々をいわゆる団塊の世代と呼んでいるようですが、、、。
その人々は、江戸後期の攘夷を志す若者、純粋に大東亜戦争と云う大義を信じ戦場に散った人々との類似を感じさせます。
しかし、ただ利用されたに過ぎなかったという現実からでしょうか、それとも戦後間もない頃に始まった、赤狩りに始まる共産主義批判、排斥の影響なのか、多くの方がその場から退き資本主義の世界に埋もれてしまったのだと思っております。そして、ソ連の崩壊に伴いいわゆる左翼の存在は弱体化し、共産思想はもはや残滓しか残っていない、という感覚を持っております。
しかし、現代の若者には、多くの事が正しく伝承されておりません。
それは、いわゆる団塊の方々、もしくは先に生きるものが、後への説明責任を怠ったという所以ではないでしょうか。日本人とは、私も含めて論理性に乏しい民族であるようです。現代は多くの“なぜ”が世に蔓延し、それによって若者が進退両難に陥っている様な気がいたします。我々の時代では、それで済んだのかもしれませんが、後代ではそれは成り立たないと思っております。
なぜなら、グローバル化によって日本人という概念は、消えつつあるからです。一つ一つ解明し、それを伝えてゆく為の努力、そしてその役割を担う必要性を私は感じます。
蛇足ですが、江戸が崩壊した理由、、それは、外圧以外の何ものでもないのではないでしょうか?少なくとも幕府が非道であったからではないはずです。
一から問い直し、そしてこのような場所で議論し確かな認識を得て、それを後代へ、そして多くの人々に伝えてゆかねばならない、わたしはそのように思っております。
失礼いたしました。